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私と弟と雨晴海岸で|文=北阪昌人

音をテーマに、歴史的、運命的な一瞬を切り取る短編小説。第13回は、晩酌のつまみに買ったほたての貝殻がこすれる音を聴いて蘇ってきた、弟との思い出。お互い所帯を持ってから連絡を取ることも少なくなったが、子どもの頃無邪気に自分を慕ってくれた弟を思い出し、胸が疼く。(ひととき2022年11月号「あの日の音」より)

 金曜日の夜のひそかな楽しみは、我が家での晩酌。駅から真っすぐ延びる商店街のなじみの魚屋さんで、今が旬のほたてを買う。大好きな富山県高岡市の名酒がちょうど手に入ったので、今夜は特に心が浮き立つ。ネクタイを緩めて、自宅マンションを目指した。

 私の心を表すかのように、殻付きのほたてが、ビニール袋の中で、陽気に音をたてる。

「ガラリ、ガラリ、ガラリ」

 貝殻がこすれる音を聴いていたら、ふと、胸の奥がうずいた。記憶の入り江に、そっと釣り糸を垂れる。たどり着いたのは高岡市あまはらし海岸で、弟の康之と貝殻を集めた幼い日の思い出だった。

 父の仕事の都合で、小学4年生の秋から、翌年の夏まで、高岡市で暮らした。転校したばかりの頃は、友だちもいなくて、弟と2人で毎日、海岸に行った。3つ違いの弟は、いつも「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と私のそばを離れない。

 秋の海岸は、人影もなく、波の音だけが絶え間なく聴こえていた。弟と貝殻を拾う。驚くほど、さまざまな形の貝殻が砂浜に打ち上げられていた。

 砂浜には、「義経岩」があった。かつて、源義経が奥州平泉に向かう途中に雨晴海岸を通ったとき、いきなり雨が降り出し、弁慶が岩を持ち上げ義経のために雨宿りの場所を作ったという伝説の場所。奇妙に組み上げられた岩は、私たちには少し怖かったけれど、徐々になじんでいった。

 拾った貝殻は、持ってきたビニール袋に詰めて持って帰る。貝殻は重なり、こすれ、歩くたびに音を奏でた。家に着くと、貝殻を2人で選別するのが日課になった。自分たちの中での「1軍」「2軍」を決めるのだ。形がよく、キラキラ輝くのが「1軍」。それ以外は、翌日、砂浜に返した。「1軍」の貝殻は、せんべいが入っていた缶に大切に保管された。

 やがて私に友だちができた。友だちと遊ぶことが楽しくて、私の傍を離れない弟がどこかうとましく思えてくる。「ついてくるなよ」と邪険に扱うこともあった。

 ある、冷たい雨が降る日曜日。弟はひとりで出かけて、夕方になっても帰って来なかった。私は母に見てくるように言われ、しぶしぶ海岸に行った。弟は、ずぶ濡れになりながら、ひとりで貝殻を集めていた。

「なにやってんだよ!」私が怒ると、

「お兄ちゃん、これ、きれいだよ」と私に見せてくれたのは、とんがり帽子の七色に輝く貝殻だった。あの日、弟がくれた貝殻は、ずいぶん長い間、自分の中の「1軍」であり続けた。

 お互い大人になり所帯を持ち、仕事も忙しく、ここ数年、弟と会うことも連絡をとることもなかった。

 私は上着のポケットからスマホを取り出した。

「ああ、康之? 今、いいか?」

「ああ、お兄ちゃん、久しぶり」

 懐かしい声がした。

「お兄ちゃん、元気?」

「ああ、元気だ」

 私の右手のビニール袋からは、相変わらず殻付きのほたてが、陽気な音をたてていた。

文・絵=北阪昌人

北阪昌人(きたさか まさと)
1963年、大阪府生まれ。脚本家・作家。「NISSAN あ、安部礼司」(TOKYO FMほか38局ネット)などラジオドラマの脚本多数。著書に『世界にひとつだけの本』(PHP研究所)など。

※この話はフィクションです。次回は2023年1月頃に掲載の予定です

出典:ひととき2022年11月号

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