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【読書記録】頭木弘樹さんの『口の立つやつが勝つってことでいいのか』を読んで考えたこと。

頭木弘樹さんの『口の立つやつが勝つってことでいいのか』を読みました。

頭木弘樹さんは、20歳の時に難病に罹られ、13年も闘病されてきた方です。
私は、この方の本で『絶望名人カフカの人生論』と『絶望読書』を、以前読ませていただいたことがあります。
振り返ると、その頃かなりしんどかったんだな……と思い出されるので、その節はお世話になりました、というところですかね。

で、『口の立つやつが勝つってことでいいのか』です。

この本で頭木さんは、いわゆる世の中で正しいとされていることに、本当にその価値観だけでいいの? と疑問を投げかけられています。
例えば、タイトルにもなってる『口の立つやつ』が、本当に勝者でいいのか。理路整然と短くまとめて話すことだけが、正解なのか。

人間の言葉って、理路整然としてる人もいるけどそうでない人もいて、じゃあ理路整然と喋れない人は、努力して喋れるようにならなければいけないのか、そうでなければ喋ってはいけないのか、そんな圧力をかけていいのか。
むしろ、理路整然と喋ってない人の話の中に、その人ならではの味わいがあって、そこに人と人とのつながりができるんじゃないのか。
そういうことですね。

私も読書会などで話すのが全然できなくて、手早く頭の中で考えて意見をまとめるとか、更に気の利いたことを言うとか、本当に苦手です。あとで「ああ言えばよかった」「こんなこと言うんじゃなかった」と後悔しっぱなし。
そんな私でも、仕事で電話応対はしているので、自治会の人から「あなたは口がうまい」と言われることもあります。役所との交渉事とか。

確かに喋るのが本当に困難な方はいらっしゃるので、そんな方に「要点を簡潔にまとめてから話してください」と言うのは、ぶしつけというか、自分本位でしかものごとを考えられない人なんだなあ」と。

と同時に「相手が理解できるように伝える」ということもまた重要で、それは理路整然と要点をまとめて伝えればいいというわけではなく、相手に伝わっているかどうか、言葉を変えながら、相手の反応を見ながら、話していくことも必要で。
要するに、相手に求めるな、おのれが怠惰になるな、できる方が対応するしかない、ということなんですよね。

失われた30年の間に、効率化ばっかりが先行して、余裕とか気遣いとか向上心とかがコストとみなされている気がします。
でも、箇条書きの業務連絡みたいな話しかできなかったら、もう働くのが人間である必要性はなくて、何なら地上に生きているのが人間である必要性もないじゃん? と思ってしまう。

この本の良さは、読みながら、作者と対話してる気分になって、こんなふうにあれこれ言いたくなって書いてしまう、そういう部分にあると思います。で、ついつい自分語りをしてしまう。
私の読書メモにも「内省を誘ってる?」などと書いちゃってます。

というか、頭木さんがご自身の弱い部分を語ってくださっているので、こちらも本音を出していいんじゃないか、というふうに思ったかどうかはともかく、読みながら「私の場合はこうで……」などと延々と考えてました。ハイ。

内省って、本当にしんどいときにやると、傷を抉るだけのことになってしまったりもしますが、人によっては、自分の傷のありかを知ることで開き直れたりもするので(私だ~)、読み終わったころには、ちょっとスッとしてたりもするんですよね。ありがたいことです。

また、しんどい時に内省目的で読む本なら、世の中にはたくさんありますが、頭木さんの本が一味違うのは、この方が本やドラマの紹介をしてくださるところ。
頭木さんがこの本のこういうところに感銘を受けたのか……と思えば、読んでみたくなるのが人の性。
そして今、すごく気になっているのが、カート・ヴォネガット。

愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに。

って、なんで私はカート・ヴォネガットを通ってないんだろう、と思ってしまいました。人生って最短距離で進めるわけじゃないですね。(高校時代にSFマガジン読んでたのに、ジュニアつきの名前で憶えてたのに、なんで読んでないんだろう? ばか)

愛はちょっと重い、たくさんの親切の方がいい。
年齢を重ねてくると、これは本当にそう思います。
個人的に、愛は他者に与えるものだと思っていますが、これって実は愛じゃなくてありふれた親切だったのかもしれない、と気づいてしまいました。でもそれでいい。

今の日本はめっちゃ生きづらい社会だし、何かと言えば自助だの自己責任だの。
経済優先の社会が取りこぼしてきたものって、人間の尊厳だと思うんですね。誰だって、粗末に扱われたくないのに。
そうじゃなくって、社会が正解としてきたものから外れた人たちにも目を向けよう、誰だって存在していることに価値がある。
そんな視線を投げかけているのが、本書だと思います。

それでも、こういうことを書くと「できる奴が貧乏くじを引いて損だ」と思う方もいらっしゃるでしょう。
でもさ。力を持つって(能力も含めて)、そのこと自体に責任が伴うんだよ。(ボクサーが喧嘩をやっちゃいけないように)
個人的な能力も、親からの財力も、地縁血縁の力も、力を手にした瞬間から責任が伴うんだよ。
それが社会なんだよ。人間は野生の中でひとり生きていくことなんかできないんだから。

そんなことを考えながら、自分とは違う視点の人を想像しよう、自分より弱い立場の人の尊厳を考えよう。と、再認識しました。


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