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なにが生と死を分かつのだろうか。なにが精神疾患と健康を分かつのだろうか。

昨日、交通事故があって、誰かが死んだ。

昨日、私は死ななかった。

一昨日、ミサイルが落ちてきて、誰かが死んだ。

一昨日、私は死ななかった。

そして、これを読んでいるあなたも、なんらかの理由で今日まで死ななかったから、この記事を読んでいる。

なんらかの理由で、誰かが死んで、私達はここにいる。それがどんな理由であるのか、私達は知らない。それは「彼女が事故に遭ったから」なんていう簡単な理由ではない。それなら、「なぜ事故に遭ったのか」と問うてみるといい。「信号をよく見ていなかったから車に轢かれた」と言うのであれば、「なぜ彼女は信号を無視したとして、その車が彼女を轢かずに止まってくれたらよかったじゃないか」と思うだろう。この問いには、答えなどない。青信号で渡っても飲酒運転の車に轢かれることがあったと思えば、赤信号なのに無理に横断して轢かれたと思えば、そこにはいくつもの偶然(歩いているひとがいること、車が傍を走っていること、その他)があるということに気づくだろう。

「なんで私が生き残ってしまったのだろう」「なんで私が彼女の代わりに死ななかったのだろう」という思考は、サバイバーズギルト(生存者の罪悪感)と呼ばれる。

これとともに生きることは、いくつものcrisis(crisi/危機)を呼ぶ。日常の些細ないくつもの出来事が、嫌な記憶を引き出してくる。とても怖い症状だ。気が付けば手首を切ったり、死のうと思ってベランダに立っていたりする。「死にたい」が「死ななければ」に変わることが、サバイバーズギルトのいちばん怖いところだと私は思っている。

これらの感情は、ときに自殺へと繋がる。だから、サバイバーズギルトはきちんと治療されるべきなのに、日本でそれに詳しいひとはあまりいない。

トラウマを抱えているひとがかかる病気というのは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)だけではない。うつ病、不安障害、物質依存症(アルコール依存症など)、といったいくつものリスクがある。「事故→トラウマ→PTSD」というのはあまりにも簡単すぎる図式だ。

実際、災害などを経験してPTSDになるのは1割といわれている。そうすると、残りの9割は健康か、あるいはほかの病気に関係している。

なお、PTSDを発症しやすいのは虐待と性暴力で、どちらも50%だが、ここにも「PTSDにならなかった50%のひとたち」が存在する。

性暴力と災害で、性暴力のほうがトラウマを深刻にしやすい傾向があるのは、性暴力のトラウマを他人と分け合うことが難しいからだといわれている。

たとえば、「私は火事で家をなくしました」と言うのは簡単でも、「私は上司から強姦されました」とは言いにくい。そして、社会も前者については「大変だったね」と言うのに、後者には「あなたがホイホイ飲みになんか行くからでしょう:なんて言われてしまう。

パイを焼いていて、それを焦がしてしまったら、「食べて」と分け合える社会になっていてほしいと思う。分け合えることができれば、「あんたって料理が下手だからねえ」と笑い話になる。イタリアにはCucinaremaleというFacebookのグループがあって、そこは下手な料理の写真をあげるところだ。「こんなに下手にできたんですよ」ということを、笑いものにしてもらって、そうすると苦しみは減らせる。焦げたパイをひとりで無理して食べていると、それは次第に胃袋を腐らせ、正常な脳までもが腐っていく。それを適切なひとのもとに持っていくことができたら、美味しく食べる方法が見つかるかもしれない。「もう一度中身を火にかけたら、おかゆみたいになって美味しくなりますよ」というアドバイスが貰えるかもしれない。

死を目の前にして、それは誰にも変えることができないことだから、ひとはどうしても動揺してしまう。大事なひとを亡くしたら、サバイバーズギルトで自殺するリスクだってある。それは神様の思し召しだの、超人的な力が決めたことだっただの、そんなことを言われて納得できるひともいれば、できないひとだっている。そんなとき、パイを分け合えたらいい。うまくできなくたって、誰かの前に見せれば、笑い飛ばしてくれるかもしれない。いい食べ方を教えてくれるかもしれない。

最後に、日本の精神科がPTSDやサバイバーズギルトに優しいものでありますように、そっと願っている。

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