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くるたのしい

※画像は ピエール=オーギュスト・ルノワール/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。ありがとうございます。


まったくもって、浮世のことはかまびすしい(騒がしい)。そして、収まるところを知らない。暑さも来る、なんもかんもくる。ようだ。



仕事のうえで、一つの山を越えて、すこしだけど、たくましくなったのかもしれない。こういったものは、苦しいけれどたのしい、楽しみ、己の成長も感じられなかったら、やってて空しい。




作家の遠藤周作氏は己の仕事に関して「くるしいけれどたのしい= くるたのしく なければ駄目だ」と仰ったとか。なるほどな。そして、苦しみというのは、確実に人の心身をつよくする。



お釈迦様の苦行に関して、あれを意味のない行為だったとみる向きもあるけれど、宮廷そだちのひ弱なシッダルタがその後、80歳で亡くなるまで行脚するような、たくましい体を形成したのは、その、6年間の苦行あってのものだったと私はみてとっている。即ち、それは意味がないようでいて、遙かにその意義を、お釈迦様、シッダルタ自身は知っていたのでは無かろうか、とも。



いまはそう、だから私は苦しいけれどたのしい。毎朝、ヨガと瞑想と筋トレをするのだが、ヨガ瞑想はともかく、筋トレはそこそこ、きつい。でもやる。何故だろう、そこに「くるたのしさ」が、垣間見られているから。げにげに、人は、快適で安心でいられればいいというだけの生き物ではないのであった。




書籍はこれを。

観音様を云々いうかたは、読まれた方がいい、名著。


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