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すれ ちがう


※画像は ポール・セザンヌ/メトロポリタン美術館 様より拝借致しました。有り難う御座います。



年度を越えて年度がはじまる。様々な感慨が、それを吟味している間もなく、過ぎていきます。ただただ、過ぎる。




そのなかで離れていく人たちとは、離れていきます。でも、その、根っこのところは言えない。人が離れていくときには、なんとなく、というのは、まだいい方で。もう、考え方の方向が違えば、人は離れていく以外に無い。まるで長年続いた、ロックバンドの解散のように、ね。




そのようななか、私はふと、一人のタオイストにならざるを得ない状況ではなかろうかとも。無為自然、で、この自然ってものが、沁みてきた。人間のはからいでは、どうもならないもの。その配置。




寂しいというより、生き方が違う。難しい、いい加減と言われようとも、私はそっちには行かない、行けないというのかな。




さて、本を。

やっぱり、これですかね。荘子もいいけれど、老子の方がふかい。ようにも今は思える。



苦しんでいるとき、トルストイは沁みる。ドストエフスキーでも、チェーホフでもなく、私はトルストイ。




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