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二元的な

※画像は ポール・ゴーギャン/メトロポリタン美術館 から拝借致しました。ありがとうございます。



おはようございます。本日お休みをいただいています。リフレッシュします。最近考えていたことの一つに「二元論」というのがあります。例えば心と体、ですね、私とあなた(他者)もそうです。この、古典的とも、又例えば二元を乗り越えるなどと言われる二元論ですが、案外と「使い勝手がいい」面もあるかと。




心と体、という風に捉えてみて、不思議だなと思うんですよ。心と体とが「調和」している状態が良好なのか、それとも互いに全く異なることを意図して互いを引っ張り合う時が良好に働くのか。私と他者との関係もそうです。




私は占いをしますが、易に「暌(けい)」という卦(け・か)があります。背き合うという内容ですが、この卦の場合だと、通常だと引き合わない陽と陽とが引き合うということも見られるとされる。こういうところに私は「二元」の妙趣を感じたりします。




そもそも多元的というものが、現象としてはあり得ても、我々の意識やらの見立てとしてあり得るのかは、難しいところだなと。多様化とか、みんな大好きな言葉のようで多々用いられているけれど。結局思考の二元化から、人は逃れ得ない、ならそれと向き合って、その「危険性」やら「可能態」というものを今一度確り見つめる時なのかなとも。





それとは、関係あるか分からないけれど、この頃急に読みたいポパー



自伝が美味しいのはこの方も同じ





私の今年の目標は「探求と、備えの年」あらためて、ベタを攻めようと思っています。その前提を問う、みたいな。さて、どうなるかな。


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