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カンペキ職人 #3:サクッと反省!の練習をしましょう

カンペキ職人に多いのは、傷つきやすさを抱えているという特徴です。心が繊細な方が多いんですね。

理由はとても簡単で、自分に対する評価が0か100しかないからです。50とか60みたいな、あいまいな評価に自分を置いたことがないんですね。100がつくことはそうそうないので、基本的には0が多いんです。しかも、まるで地獄に落とされたかのような落ち込み方をします。自分の行動に対して反省するのではなく、自分の存在意義まで否定してしまうこともあります。


1回1回の出来事にここまで感情を揺さぶられていると、疲れてしまいます。神経がすり減るので、周りの人と比べてとても疲労が溜まりやすいのも特徴だったりします。でも、周りは別に何も思っていないことの方が多いんです。心配や落ち込みが杞憂のこともたくさんあるんですね。

そこまで落ち込まなくていいのに、自分を否定しなくていいのに、と周りは思うのですが、私たちカンペキ職人にとってはそんなの関係ありません。だって、0か100しかないから。0だったら意味がないと思ってしまうからです。


じゃあこれを、どう回避していけばいいのかという話なのですが、まず「傷つきやすい」という認識から見直していくのが良いと私は思います


よく、傷つきやすいとか、繊細さんという言葉を聞くと思います。HSPという言葉も一時期流行りましたね。私も充分当てはまるなあと思って当時は見ていたのですが、”傷つきやすい”の解釈だけは、少し異なっていました。

本当は、傷つきやすいんじゃないんです。無意識のうちに自分の力で傷を深くしてしまうんです。外部からの刺激に対して深い傷ができるというよりは、外部からの刺激は浅いけれど、自分でその傷をどんどん深くしてしまうということです。

例えば、上司に叱られた時。叱られた内容自体は本当に些細なことで、書類に記載した敬語の使い方がビジネス的ではなかったという内容でした。「こう書いたらいいよ、次からは気をつけてみて」と言われたとします。特に声を荒らげて怒られたわけではありません。本当に軽い注意です。

でも、カンペキ職人さんは、心臓がすぅーっと冷たくなって、頭の中がパニックです。「なんでこんなミスしたんだろう」「しかも敬語なんて常識の部分なのに」「恥ずかしい」「嫌われたかな」「やっぱこの仕事向いてないかも」言葉が駆け回るのですね。ニコニコ動画知ってますか?あのコメント欄みたいな状態です。人から言われたことを必要以上に深く掘り下げて、自分の存在まで傷つけようとしちゃうんです。


今こうやって冷静に見たら分かると思うのですが、そこまで掘る必要は全然ないんですね。相手がくれる言葉以上に、自分のことを傷つけてはいけません。

でもね、落ち込んでいる時にはなかなか気づけないんです。世界の終わりくらいに気持ちが沈んでいるからです。胃がチクチク痛くて、耳鳴りもする。食欲はないし、もう帰ってしまいたい。そんな絶望の淵に立たされています。


私たちカンペキ職人に必要なのは、反省の練習です。これで、0と100の白黒評価を回避する事ができると思います。

私もですね、今年から新しい職場に転職したのですが、そこで実践しています。具体的なやり方を書いておきますね。自分が落ち込んでいるなと感じたら、その瞬間にノートを用意します。エクセルでもいいです。書く内容は4つ。事実(何が起きたのか)、原因(どうして起きたのか)、感情(どう思ったのか)、行動(これからどうするか)です。

ここでコツなのは、思ったままを書くということです。このノートは上司に見せるわけではありません。好きに書いていいんです。自分に原因はないと感じたのならそれでいい。これは起きるべくして起きた。こういうこともあるのだなと学べた。それくらいで全然いいんです。

もちろん、自分に責任が少しでもあるなと感じたら、それもしっかり書き留めます。上司から叱られて悲しいとか泣きそうとか、そういう感情もこぼさず書いてあげてください。そして、これからどうすれば今回と同じことをしないで済むか、考えてみてほしいんです。

これは頭と心のバランスを調整する訓練でもあります。カンペキ職人さんの場合少しややこしいのですが、頭100%だと気持ちが圧迫されて苦しくなるし、心100%だと落ち込みすぎてしまいます。だから、事実と行動は頭で、原因と感情は心で書くようにしてみてください。意識するだけでいいです。今は頭の出番だぞ、さあ出ておいで!じゃあ次は心だ。思う存分吐き出せ!こんな具合に、ポケモントレーナーのごとく、心と頭を入れ替えながら書いてみてほしいです。


小学生の反省文みたいだと思いましたか?でもね、これかなり大事なことだと思うんです。思うに、カンペキ職人さんは、幼少期に周りの大人からあまり叱られた経験がない方が多いと思うんです。周りの刺激や感情に敏感で、常に負の状態を回避できるように行動していたからです。いわゆる、絵に書いたような問題児ではなかったと思うんですね。だから、反省文を書いた経験がほとんどないんじゃないでしょうか。問題が起きて、それに対する反発心とか悲しみみたいな感情と向き合って、解決策を導く。そういう小さなサイクルが、足りていないことが多いです。

とにかく反省の練習です。自己攻撃を回避して、未来に繋げることを学びます。これは、1回自分の落ち込みに区切りをつける意味でもあるんですね。反省したらもう、それ以上掘れる土は残っていません。前に進んでいくしかないんですね。きっと慣れないうちは「まだ掘れるはずだ」と思って、反省し終わっているのに落ち込む方向へ自分を導いてしまうと思います。もしかしたら、その方が楽だと感じるかもしれません。不幸に振り切ってしまった方が、もがく必要がなくなるから、そこに居たくなるかもしれません。でも、頑張って抜け出してみましょう。最初は上手く抜け出せなくてもいいから、抜け出したいという意思だけは芽吹かせておきたいです。これは練習です。回数をこなしていくと、だんだん落ち込む時間が減っていきます。サクッと反省して、次に進むことができるようになっていきます。

私も今実践中の身なのですが、やってみると分かります。意外と難しいのですよ。心がどんどん先走って、落ち込む方向へ行きます。「やっぱり向いてない」「もう辞めてしまいたい」0の方向へダッシュしちゃうんです。それに待ったをかけて反省に導くのは、簡単なことではないんですね。でも効果は絶対に出るので、あきらめずに続けてみたいなと思っています。

反省の練習は、必要以上の落ち込みや自己攻撃を回避するだけでなく、物事の見方を柔軟にするという副効果があります。白黒ハッキリ付けずに、グラデーションで物事を見られるようになるのです。なぜこんな効果が生まれるのか、理由はシンプルで、物事を判断するまでに時間をかけるようになるからです

反省という工程がすっぽり抜けると、私たちはいつまでも掘り続けます。自己攻撃・自己否定が落ち着くまでどこまでも掘ってしまいます。でも、掘る前に反省を組み込むことで、その物事に対して瞬時に0点をつけるのではなく、一旦整理して向き合ってから、点数を付けられるようになるんです。しかも、しっかり整理できているので、0とか100のようなハッキリした数字は多分つきません。50とか60とか曖昧な数字を、自分が納得した状態でつけることができるんです。


私は元々、「反省力」が著しく低い人でした。何か周りから言われたら、言われた以上に自分を傷つけてしまう。本当にダメな人間だ。恥ずかしい、消えてしまいたいと思うほど、どんなに小さなお叱りでも、これでもかというほど落ち込んでいました。

落ち込むことが悪いと言っているんじゃないんです。自然な心の反応だからです。でも、自分を攻撃することで落ち込みをエスカレートさせ、評価を0まで持っていく必要はないと思うんです。

周りにも同じようにしてしまうんです。自分の評価を0か100でしか付けられないから、周りの人の評価も同じ軸になります。この人は合う、この人は合わない。この人が悪い。出会った序盤にすぐ判断してしまいます。

間違わないでほしいのは、これは直感とはまた別のおはなしです。直感的に合う・合わないを嗅ぎ分ける嗅覚を持っている方もいるとは思います。でも、カンペキ職人さんの場合、その嗅覚は一旦置いておいて、もう少し判断までに時間をかけた方が吉だと私は思います。過度なバイアスを防ぐことに繋がるからです。



傷つきやすさや繊細さは、アンテナになります。人の感情に共鳴し、深く思考できるという魅力を持っているんです。だからこそ、そのアンテナがもっと心地よく、力を発揮できるようになるために、反省の練習が必要だと私は思います。

最後に、私がこの反省力を考えるキッカケになった記事と書籍を載せておきます。書籍はまだ私も読んでいる最中なのですが、Compassionを題材にした本です。分厚いですがとても濃い内容なので、気が向いたらぜひ読んでみてくださいね。


今後の執筆活動やデザイン・アート活動の糧にさせていただきます。いつか絶対に恩返しするために。