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カンペキ職人 #1:その完璧主義は、もっとやわらかくできる。

完璧主義って、どんなイメージがありますか?おそらく、良い印象を持っている人は少ないんじゃないかなと思います。


例えばマッチングアプリのプロフィール欄に「僕は完璧主義です!」て書かれてたらどう思います?迷わずに右スワイプですよね。こだわりを押しつけられそう…と思うはずです。

私もずっと、自分の完璧主義なところとか白黒思考なところがすごく嫌いでした。良いことないんですよ、自分の首を自分で締めるからです。他人からはそこまで高いレベルを求められてないのに、それを超えていこうとする。そしてしんどくなる。

自分に対してだけならまだいいのですが、周囲に対してもそれを求めちゃうので、被害がすごいです。自分の首を絞め、周りの首も絞める。わあ、いいことない!


でもね、完璧主義も付き合い方のコツさえつかめば、もっとやわらかくなります。

良いところに光を当てて、磨いていく。つまり職人になっていくということです。カンペキ職人です。自分のしごとにこだわりを持ち続ける。”良いもの”をめざしつづける。でも、他人にはそれを求めない。この絶妙なバランスです。

なんだか難しく感じるかもしれません。でも、誰でもやろうと思えばできるようになると思うんですね。やわらか完璧主義です。まずはカッチカチになった完璧主義を少しだけほぐす所から始めましょう。


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完璧”の言葉の語源を知っていますか?私は知らなかったので調べてました。なんでも、中国の故事が由来となっているらしいんです。

中国の戦国時代、秦の国王である昭王は、趙の国にあった「和氏の璧(かしのへき)」がめちゃくちゃ欲しくなり、「うちの城と交換しない?」と持ちかけた。でも全然交換してくれる気配がないので、使いの者が命懸けで持ち帰った。その故事を「完璧而帰(璧をまっとうして帰る)」といい、大事なことを成し遂げることや、欠点が全くないさまを「完璧」と表すようになった

参考:gogen-yurai.jp

欠点が全くない、というのはもともとイメージとしてありますよね。とにかく完全無欠な感じ。でも、この文章にもある通り、もうひとつ意味があります。完璧主義は、大事なことを成し遂げるという意味も持っているんです。


大事なことを成し遂げる人って、私は職人と呼べる人だと思っています。世の中には色んな職人がいます。みなさんがイメージするのはきっと、日本古来の伝統を受け継ぐ職人さん。和室の掛け軸とか、陶器とか、そういうものを手作業で作っている人をイメージしませんか?

でも実は、それ以外にもたくさん職人さんが存在します。 相談に乗る職人、足の早い職人、音楽を奏でる職人。バソコンのタイピングが早い職人。人を叱る職人。どんなジャンルにも職人は存在していて、本人はそれに気づいていないことが多いです。完璧主義であることに苦しんでいることが多いです。

思うに職人とは、人間が漠然と持つイメージの世界と現実世界との距離を、グッと近づけることができる人。その素養を色濃く持っている人です。

そしてこの職人気質こそ、完璧主義のもうひとつの姿だと思うんですね。すごいことだと思うんです。もっと、完璧主義である自分を褒めてあげてほしいです。

形のないイメージの世界を現実にしてしまうんですから、それは誰でもできることではありません。「こうだったらいいな」をあなたは叶えることができちゃうんです。立派な長所になると思います。

これから完璧主義のことは、カンペキ職人と呼ぶことにしましょう。言葉を変えるだけでもだいぶ柔らかくなりましたね。良い調子だ。


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少しほぐれたところで、次に行きます。

私たちはなぜ、カンペキ職人であることに悩むのでしょうか

さっきの話を聞けばなんだか悪くはないもののように思う。でもそれでも、完璧主義であることは弊害が多いように感じませんか?

その理由はきっとこうだと思うんです。完璧を目指すこと=自分の首を絞め、周囲の首を絞めることにつながる、と思っているから

完璧ではない自分に気づいた時にすごく苦しくなります。そして、もっともっとと欲張るようになる。頑張ったら成果が出るので、またさらに頑張る。そしてついには、それを人にも求めてしまう。たしかにこう考えると、カンペキ職人はなかなか生きづらそうです。

あの、少し提案させてください。試しに、もうひとつだけ見方を増やしてみるのはどうでしょうか。見方を増やすことは味方を増やすことに繋がります。そうしたらもっと、完璧主義はやわらかくなります。もっとすてきなカンペキ職人になります。

提案というのはですね、絞めるのは首じゃなくて、他のところにしてみませんか?ということです。

イメージの問題です。もちろん、物理的に首を絞めているとは思っていません。でも、とにかくイメージが大事だと思うので、今しばらく言葉遊びにお付き合いいただけると嬉しいです。

首をしめると、息が出来なくなります。息って、「自」と「心」が組み合わさってできています。つまり、息は自分の心そのものなのですね。心をせきとめてしまうから、苦しくなるのです。心を止めてしまっては、あなたの思い描くカンペキにたどり着くまでのスピードが、ゆっくりになってしまいます。周りの人も苦しくなります。心が不自由な人を見ていると、それは周りに伝染してしまうからなんですね。だからまずは、心を自由にしてあげるのはどうでしょうか。

少し抽象的になりすぎたので、別の言い方に変えてみます。

完璧を目指していいです。どんどん目指しましょう。でも、自分にとっての完璧が分からないまま突き進むのはやめておきましょう。「完璧にならなきゃ」「こうしなきゃだめ」というその口癖をやめるんです。

その代わり、完璧とはどういう状態なのか。何を求めたいのか。それを言葉で表現してみましょう。誰が聞いても理解できるくらいまで、すごく具体的にわかりやすくするんです。

例えば、チームを組んで大きな絵を描くとしましょう。対抗戦です。あなたはどうしても負けたくないんです。カンペキ職人なので、もう頭の中にイメージもあるんですね。こういう絵を描いたらきっと優勝できる。戦略も立てています。

でもいざ、蓋を開けてみたらなんだかうまくいかないんです。思っていたような絵にならない。あなたは仲間に指示を出すのですが、仲間との関係性もギクシャク。こんなはずじゃなかったのに。もっと良い成績を上げて、みんなでバンザイしてるはずだったのに。

まずは、「うまくいく」状態とはどんな状態なのかを言葉にするんです。どうなったらあなたにとって完璧なのか。そして今、何があなたの中でうまくいっていないのか。その原因はなぜなのか。丁寧に言葉にしていきます。

そうしたらだんだん見えてきます。あなたが本当は描きたかった絵が、言葉に変わっていくんです。頭の中にあったイメージが具体的になるので、仲間にも伝わるようになります。言葉が道しるべになるんですね。今まであなたの頭にだけ存在していたゴールに、道が繋がっていくんです。

カンペキ職人にとって“完璧”とはゴールであり、理想状態です。そこに行きたい気持ちは誰よりも大きいし、ゴールへ向かおうとするエネルギーはとても凄まじいのですね。

カンペキ職人さんは、嗅覚が発達している方が多いので、自分の嗅覚のままに突き進みます。その感覚はきっと正しいです。

でも、ゴールがあまりにも漠然としているから、たまにどう頑張っていいかわからなくなる時があります。鼻が効かなくなる瞬間があるのですね。その時に一気にしんどくなります。きっとひとりで頑張ってきたので、周りの頼り方も分かりません。どう助けを求めていいかも、分からないのですよね。

だからまず、言葉にすることが大事なんです。言葉にすれば、完璧主義は少しやわらかくなります。実感があると思います。安心感というか、肩の荷が降りる感覚です。

あなたにとっての完璧を思う存分めざすためにも、まずはあなたの頭にある世界を、よっこらしょと現実に下ろしてくるところから始めてみましょう。首はもう、しまらないはずです。


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すっかり、長い提案になってしまいました。全国のカンペキ職人さん、どうでしょう?あなたの完璧主義はやわらかくなりましたか?

ちなみになんですが、私はもっと柔らかくしたいと思っています。足りないんです。柔らかさが足りません。きっと、カンペキ職人さんの中には、まだまだ自分はカタイな〜と感じてる人もいると思います。

理想を言葉にすることなんて、何回もやってるよ。でもそれでもうまくいかねーんだってばよ。そういう方も絶対いるはずです。同じです。私もでした。ちょっとほぐれた感覚はありましたが、まだまだカチコチの完璧主義。

次回はもーーーっと柔らかくしてみますよ。少し勇気を出して、思いっきりやってみましょう。まだまだ完璧主義はやわらかくできます。


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今後の執筆活動やデザイン・アート活動の糧にさせていただきます。いつか絶対に恩返しするために。