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【よなよな哲学】幸せと悲しみって似てると思わないかい。

大事な人ができると、悲しい気持ちになるのは私だけでしょうか。幸せな気持ちって悲しみとめちゃくちゃ似ています。光に照らされて眩しい時って、顔が歪むじゃないですか。その感覚にすごく似ている。嬉しくて、尊くて、この上なく幸せなんだけど、なんかすごく悲しい。

この前、恋人の前ではじめて大泣きしたんです。いろいろあっていっぱいいっぱいになって「もう無理、泣きそう、泣きます」と宣言して泣きました(泣いてる原因は彼ではない)。

ちょっと話が脱線するんですけど、いいですか。自分が本当に悲しい時とか辛い時に、いっしょに泣いてくれる人が恋人だと嬉しいという声を、色んな所で見たり聞いたりするんですが、私はあまりそう思わなくて。私が泣いている時に笑ってくれる人がいいんです。「はは、何泣いてんのー大丈夫だって!だいじょーぶ!」って笑いながら慰めてくれるのがいい。

自己分析するに、私は幼い頃から人の前で泣くのがすごく嫌だったんですね。周りが深刻な顔になるからです。ほの、大丈夫?どこか痛いの?何があった?思う存分泣かせて欲しいのに、そんな深刻そうな顔でこちらを見られると、「いや大丈夫、なんでもない」と強がりたくなっちゃう。

自分のせいで周りの人がアンハッピーな気持ちになってほしくないという不器用にも子どもながらの願いがあったし、泣くことって弱みを見せることじゃないですか。隙を見せることじゃないですか。それが、優等生を演じていた子どもの私には、ちょっとハードルが高かったんですよね。

大学生になって、それまでの人生で1番長くお付き合いしていた(ゆーて半年)彼氏に振られてしまった時、私は友達に電話するよりもまず、親に電話をしました。

両親が唯一、自分のカッコ悪い所を笑ってくれる存在だったからです。ビデオ電話でした。泣きすぎてブッサイクな顔の私が画面に写った瞬間、両親大爆笑。めちゃくちゃ笑ってました。そんな泣くなよおって。

今お付き合いしている彼もそうだったんですね。私がいきなりボロボロ泣き始めた時「ええええ、泣いてる、ホントに泣いてる、そんな泣かなくていいじゃん〜!大丈夫だよ〜アハハ」文字にするとアホみたいに見えるんですが、私にはとんでもない大きさの愛に感じました。

笑ってくれるから、心置きなく泣ける。ありがとうって思いました。しかも一緒にもらい泣きするとかもないから、安心して涙腺崩壊できる。ブッサイクな顔を晒せる。写真撮ってましたよ彼。記念撮影かっつーの。見せもんじゃないぞワレェ。そう思いながらも、ちょっと嬉しかったんですね。家族以外にも私の泣き顔を笑ってくれる人いたんや〜って。頭おかしいと思うでしょ?DVとかする人ではないので安心してね。

でもね、嬉しさや感謝と同時に込み上げてきたのが、悲しみでした。ここから本題です。長かったね、ここまで読んでくれてありがとう。とにかくね、すごく悲しくなったんです。ああ、この人も将来、いつかは亡くなってしまうんだよな。日本の平均寿命で言えば、彼の方が先に亡くなる確率が高い。私、ひとりぼっちになるのか。耐えられるかな。


こんなに尊い気持ちにさせてくれる人を、この先どう頑張っても失ってしまうこと。それを避けることはできないこと。残酷な事実が突き刺さって来るんです。愛と哀。両方の感情が大波となって押し寄せてくる。共感できる人いませんか?私たち、いつか絶対死ぬんですよ。普段あまり考えないけど、実際そうなんですよね。大切な人もいつかは死ぬ。そのどうしようもない事実を肌で感じ、悲しい気持ちが襲ってくるのは、自分が心から愛を感じた時だなあと思うんです


なんでなんだろうね。残酷だよね。とっても幸せで、とっても辛いんですよね。難しいね。

でも、だからこそ、ありがとうって思うんです。死を意識させてくれてありがとう。愛をくれてありがとう。この先永遠に一緒にいることはできないけれど、もらった愛以上の愛を、お返しできるように頑張ります。


そう、奮い立たせてくれるんです。自分も彼も有限であること。愛は死を教えてくれる。尊さと残酷さの両面を見せてくれる。

まるで地球そのものみたいですよね。愛って。大自然の美しさも、脅威も、私たちはまざまざと感じながら生きてるじゃないですか。ほんと、地球みたい。愛は地球を救うってどこかで言ってた気がするけど、愛こそが地球なのかも。

スケールでかすぎやしないかと怒られそうだけど、実際そう思うんですよね。人間と地球の構造が実はよく似ている話、聞いたことありますか?血管が川のように流れ、森林のごとく頭から足先まで毛が覆っています。そして人間の成分のほとんどが水です。もう、地球みたいなもんなんですよね。


愛とか、生きるとか、死ぬとか。
曖昧で時に人間を底なし沼に落としてしまう概念たちは、地球が大きなヒントを持っているのかもしれないですね。


今後の執筆活動やデザイン・アート活動の糧にさせていただきます。いつか絶対に恩返しするために。