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【よなよな哲学】”耐える”と”逃げる”の見極めってムズいよね。

冒頭から引用を持ってきてしまってすみません。これ、最近見たツイートの中でいっちゃん刺さりました。そう、これこれ!こういうことを言いたかったんだ、って目が覚めるような感覚です。

長いツイートなので、大事な部分を要約してお伝えするとですね、

心の痛みには2種類ある。
・心の成長痛。我慢してやった方が1年後すごい伸びるしどんどん楽になる。
・ただ痛いだけ。成長に繋がらないのですぐ逃げた方がいい。

なるほどなあ、と思って読んでいました。
ずっとモヤモヤとしていたことなんですね。
みんな、やめろとか逃げろとかすぐに言ってしまうけれど、その結果に責任を持つことなんてできない。本当に苦しい人にとってはその一言が心の支えになるけれど、そうじゃない場合もある。

むずかしい、判断が難しいですよね。

私は元々、逃げる・耐えるを使い分けるのが下手くそな自覚があります。これは学生時代からそうです。逃げるべきところで逃げず、耐えるべきところで逃げようとする。

心の成長・成熟に繋がりそうな段階で、どうしても怖くて耐えられず、逃げることを選んでしまう癖がありました。言い訳も得意なんです。そういう時につく嘘だけは、上手い自信があります。いらんスキルです。

でもね、学生ながらになんとなく勘づいていたことがありまして。こうやって耐えることを避けていたら、いつか大人になった時に忍耐が必要なフェーズが来るぞ、と。そこでおまえ、がんばれよ?いいな?幼い自分が今の私に説教している気がするのです。

この勘は見事に当たりまして、心がヒリヒリ状態で毎日を送っている今日この頃です。主に仕事においてです。デザインの仕事ですね。

自分が本気でやりたいと思ったことを0から積み上げていくって、そんな生半可な気持ちじゃできないことです。今、とても実感しています。

絶対に越えられない人達が周りにいて、到底叶わないスキルを持った菩薩のような人達がいる。それはすごく恵まれていることで、とても有難いことなのだけれど、どうにも苦しくなって「やめてえな」と思うことも何度もあります。週1くらいで思ってますね。結構なスパンです。

でも、冒頭でも紹介したように、心の痛みには2種類あるというのはその通りだと思っていて、私が今感じている心のヒリヒリ感とか辛さは、心の成長痛だと思っているのです。

大学生の頃感じていた、どうしようも無い生きづらさとか苦しさとは、感覚的に少し違うのですね。どちらも絶望する時はするんだけど、今の仕事の場合、苦しさよりも悔しさが勝ちます。なんで私はこんな物も作れないんだ、デザインに対してなんて配慮が足りないんだ。悔しさは苦しさと違ってバネの役割を果たしてくれるので、絶望しても、いつかビョーンっと上に大きく跳ねてくれます。そこからまた頑張れるのです。

だから、この心の痛みを拡大解釈して「やめよう、やっぱり会社は向いていない」「そもそもひとりでやる方が効率いいし」みたいに、どんどん話を抽象化させて、逃げる選択肢に追い込む、というのはしないように心がけています。

苦しいけどとりあえず続けてみる。
辞めなければもう、それで目標達成。

みたいな感じでハードルをさげて、継続だけを目標として据えておくというのを、最近はしていました。

でもね、難しいのが、私は「どうしようもない苦しさ」を我慢してしまう癖もあるのです。そういう方、他にもいますでしょ?(いてくれ)ほんと、面倒な心の機能だよね。

これは本当に、恥ずかしくて情けなくてあまり周りにも言えてないことなんですが、大学生の時にバイトを突然辞めたことがありました。もう、ほんとに突然です。行けなくなったんです。苦しくて辛くて、でも行かなきゃいけない。私がいなくなったら迷惑をかける。その葛藤で心がぐちゃぐちゃになって、突然行かなくなるという選択を取りました。

そして極めつけは、親に辞めることを伝えてもらったのです。その時私は実家で暮らしていて、母親とバイト先の上司が知り合いだったんです。それもあって、母から伝えてもらいました。

ほんと、情けない。なにやってるんだ、いい大人なのに。ここまで苦しくなる前に逃げればよかったのに。すごくすごく、自分を責めました。突然辞めたことに、全く怒らなかったバイト先の同僚や上司にも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

周りから責められるに違いないと思い、友人にも話すことを避けました。辞める少し前、「バイト 親 辞める」と検索してYahoo知恵袋を漁りまくったのですよ。そしたらやっぱり「ちゃんと自分で伝えるべき」「責任放棄です」みたいな言葉が並んでいて、う、正論…と苦い思いを抱いた記憶があります。きっと周りからも同じようなことを言われるに違いないと思っていました。

今思い出しても、情けない気持ちが残っています。でも、その時はそれしかできなかったのです。それくらい自分を追い込んでいて、逃げ時を見失っていたのですね。今になってやっとあの時の自分に「よくやったよ、次はこんな事にならないように対策すりゃOKよ」って肩を叩くことができました。


逃げること、耐えること。このバランスを自分の中で見極めるのはほんとに大変なことで、どうしたものかと日々思うわけです。


でも、だんだん分かってくるものでもあると思うのですね。色んな失敗をして、経験を積んで、自分にとっての良い塩梅が掴めてくるのだと思います。

ここは逃げた方がいいな、ここはもうちょい踏ん張ってみよう。感覚が研ぎ澄まされていって、自分にとって正しい選択をできるようになってくる。

不安な時は、周りに頼るのも大事だと思います。追い詰められる、2-3歩手前くらいで。わかるよ、そのタイミングも難しいのだけれどね。

これは、ほんとに、私感覚になっちゃうので参考になるか不安なんですが、逃げることと耐えることのバランス感に自信がない人は、普段からもう少し、まわりに愚痴をしっかりこぼしておくのが良いのだと思います。

心を許せる相手がいいです。自分がこぼす感情に対して、共感しすぎず、自己中になりすぎず、素直な目線で意見をくれる相手だと尚良しですね。周りにひとりはいるのではないでしょうか?友だちや家族、かかりつけのお医者さん、同僚、上司。どんな属性の人でも大丈夫です。

逃げることと耐えることのバランスが難しい人は、自責と他責の判断が苦手な場合が多いです。私がまさにそれ。自分に言い聞かせています。

まずは、心理的安全性が確保できてる相手に目の前にいてもらって、そこで心置き無く愚痴ってみる。そうすることで、自分のほんとの気持ちにも気づけるし、素直な意見も聞けるので、だんだんとバランスが取れるようになってくると思います。


あとはね、うーん、なんだろな。
整理するのも良きですよね。
心がモヤモヤとした時や葛藤したとき。

どこまで自分の責任範囲として考えて、どこからを周りのせいにしちゃうか。これが分からないままになるからモヤモヤして、苦しくなって、追い込まれてしまうケースもあると思うのです。

書いていて思ったのですが、責任範囲って言葉、あんま好きじゃないんですよね。言い換えるとなんだろうな、将来心の糧になりそうな範囲、みたいな感じ。その範囲について自分ごととして考えることで、少し痛みは感じるけど、将来的に心の大きな成長に繋がる要素。いつか未来で、自分を楽にさせてくれる範囲。

この範囲って、自分の直感としてなんとなくわかると思うのです。目をつぶりたい部分だけどね。ここって私、いつもぶつかる壁だな。どんな挑戦をしてもこの壁にぶつかる。そんな、もはや常連とも言える「壁」ってあると思うんです。それこそが、将来心の糧になる要素です。見て見ぬふりしたいし、逃げたくもなるけど、でも向き合うことでめちゃくちゃ成長・成熟できる。

この範囲だけ、自分ごととして考えれば良いのだと思います。範囲外のことは、思い切って人のせいにしちゃいます。自分の責任範囲が100のうち30以下(☜この数値は個人差あり)の時は、逃げる時だと思います。逆に、40以上なら、少し耐えてみても悪くないと思います。


むずいですねー、ほんとに。
でもとにかくね、私の今の仕事の目標は、とりあえず2年間は会社を辞めないことです。3年までいくと、なんとなく感覚として違う感じがするので、とりあえず2年。3年くらいは続けそうな気もするけど、目標としては2年で良いことにします。これからの人生、予想外・想定外のことがたくさん起きるはずですしね。

環境と人にはとっても恵まれているので、2年は頑張りましょうね私。2年経ってからまた考えればいいんです。ワクワクする未来図をね。

あ、逃げたい人は早く逃げましょうね。
1人で逃げられなさそうなら、周りにサクッと弱音吐いちゃいましょう。頼れる人が近くにいなければ、好きな人が書いた本とか医療機関に頼ってみるのもいいかもしれないです。

逃げたり耐えたり、
繰り返しながらほどよいバランス感を
見つけていきたいものですね。

今後の執筆活動やデザイン・アート活動の糧にさせていただきます。いつか絶対に恩返しするために。