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子育て話③篠田麻里子さんとリンクする私

AKBの篠田麻里子さんの不倫がネットで騒がれています。

本人同士しかわからないこともあるという前提で、そして関係者以外が彼女に対しジャッジすべきことではないことも前提ですが、あまりに自分とリンクするところが多くて、記事にしてみます。

ネットの情報ですが、篠田さんが不倫をした?という話。「寂しかった」と篠田さんが旦那さんに話している録音が流出されていました。

私は以前にも書いていますが、たくさんの方と恋愛はしてきたものの、誰かを本気で愛したことがありませんでした。ということすらも気がつくことなく、経験人数が多いだけで、それを愛だと勘違いしていました。

10代〜20代を振り返ると、彼氏がいなかったことがほぼなく、常に男性を求めていました。その理由も明確に覚えていて「彼氏がいると、自分の存在価値があると思えるから。」自分に自信がなくて、誇れるものもなくて、でも、そんな自分を唯一肯定できる瞬間が「彼氏がいる」という事実でした。でもこれは自分の欲求を満たすことが目的で相手を求めていたわけで、相手に対しての愛情や思いやりは欠けていました。

その結果、自分にとって都合が悪くなってきたら別れを選択。長く続いても1年くらい。年齢が上がるほどに別れまでの期間はどんどん短くなっていきました。

そんな感情のままでも、20代後半となったときに、結婚に至りました。その時も知り合って半年後には結婚という早さ。(妊娠はしていませんでした。)でも、愛することを能動的にしない私、それに対し、相手も不満をぶつけることもなく、一見すると問題のない夫婦関係を送っていた時に、今の夫に出会い、強烈に惹かれ合い、男女の関係となりました。不倫です。男女の関係になって1週間後に、夫に事実を伝え、そこから離婚し再婚という流れになりました。

結婚しているならば、不貞行為は法律的にもアウトです。それでも私はその時の自分の気持ちを止めることができませんでした。それは自分の感情を優先させた結果です。

ただ、その時の相手である今の夫は、簡単な気持ちで私と関係を築いたわけではなく、その先の覚悟をもち、私と子どもたちの責任をもつという強い覚悟を持ってくれていました。

その結果、私のような自己中心的で子どものように自分を満たすことを優先した不倫という結果も、今、こうしてオープンに話せる事実となっているのだと思います。そうではなかったら、私は不倫し、夫や子ども、家族を裏切った女、で終わっていました。

篠田さんの件も何が事実かはわかりませんが、寂しかったのは事実なのだと思います。でも、それは自ら能動的に愛していなかったからなのかもしれまんせん。あれだけの国民的に大人気で、トップクラスのアイドルですが、表面的な自分を愛するファンと、自分の内面までもすべて含めて向き合うこととは意味合いが違うと思います。前者では、心の奥底の寂しさは消えることはなくて、むしろ、あれだけ可愛くて不特定多数の方から求められていると、表面的な感情は満たされ続けてきた可能性もあります。

一時的な恋愛ならばそれで成立しますが、夫婦関係や、子育てとなると、その自己中心的な愛では成立しないことが出てきます。これもその夫婦同士の関係性もあると思うので一概には言えませんが(2人のサビアンシンボルの関係性が大きく影響していると思います。詳しくはこちら。)もしくは仮面夫婦として成立するかもしれませんが、それでは心の奥底の寂しさは埋まらないと思います。その寂しさを満たすための手段が、不倫なのだと思います。

不貞行為に及ぶ時の女性の心情としては、自分が誰かに必要とされたい、求められたい、女として大切に扱ってほしい、そうゆうところだと思います。事実として私はそうでした。

そして今、愛とは?愛するとは?というところに葛藤しています。今まで愛することを能動的に行ってこなかった結果、自分から愛さなくては相手と深く結びつくことは困難となるという現実をようやく目の当たりにしているからです。

タイムウェーバーの結果でも生理が早い原因を分析した結果ですが、「愛されないと愛せない精神。」という回答がヒットしました。

ブログ「原因不明の原因は?」

タイムウェーバーについて少し補足します。

タイムウェーバーとは意識を可視化する機械です。自分が入力した文言に対して可能性の高さを数値化します。「10、D1」という数値は、この文言「生理が20日できたことの原因に、愛されないと愛せない精神」が現実的に可能性として高くある、という解釈になります。

繰り返しますが、私が恋愛や結婚に求める感情は自分中心でした。自分を認めてくれる存在がいることで安心したかったから。そうゆう側面があってもいいと思いますが、それでは相手の心は満たされることはないのですよね。そしてそんな私を相手も愛してくれるはずがありません。と文章化しているとそうだよね、と理解できても、現実ではそれが納得できない、超自己中な自分がいます。どうして今の私をすべて受け入れて愛してくれないんだって。

誰様なんだという話です。

そのままの意識で母親にもなると、それでも子どもは母親にとって絶対的な存在なので、影響を受けていくわけです。それが子どもの当たり前となっていきます。当然、子どもに対しての愛も、歪んだものになる。だから子どもはどこかで満たされなくて、愛することを理解出来なくて、自己中心的になっていく。母親と同じように。

この現実に私は逃げ出したくなるのです。逃げ出しちゃいかんやろ、という話なのですが、今までも関係性が深くなると壁を作って生きてきたので、それ以上に飛び込むことが恐怖で仕方がなくなるのです。でも、当然、母親という立場からは逃げられない。ならば、子育てをどうしていくか。子どもをどうにかしようとするのではなく、自分自身がどうなるのか。それを問われているのですが、自分の現実、自分の闇と向き合うことがストレスで、闘争と逃走反応を起こし続けています。

ここから脱却するしか道がないとわかっているのに、今も自分を守りたいという防衛反応に吸い込まれてしまいます。でも、どう考えても、そうではない生き方を一通りやった結果の今、自分から能動的に生きて、愛すること以外に自分の人生を肯定し、心を満たす方法はないのです。

それでも人は変わることができないのか、できるのか。2023年、いや私のここからの人生はそれを試されています。

タイムウェーバーセッションをオンラインで行っています。

という2023年初発の記事でした。今年もよろしくお願いします。

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