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台北90年代・時空の結節点〜楊徳昌 監督『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994)

 今年2023年夏は猛暑続き。暑さには割と強い当方ながら、東京の不快指数には閉口。プール通いなどに快適感を求めている。

 8月21日(月)、新宿武蔵野館にて『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994)鑑賞。4Kレストア版だが上映は2Kとある。フィルム上映を最上とする自身にとって、レストアはあくまで次善の策。修復により、ガラリと印象が変わってしまう作品もあり、名作の数々をロードショーで見ておけばよかったと悔やむ。しかし、今回の映像に不満はなかった。
 
 台北の一時代を切り取った本作。WEBサイトには、こう紹介されている(一部抜粋)。

映画史上に屹立する『牯嶺街少年殺人事件』(1991)の直後1994年に、前作と全く異なるアプローチで現代の台北で生きている男女を描き、エドワード・ヤンのフィルモグラフィの中でも最大の野心作『エドワード・ヤンの恋愛時代』。

  一種の恋愛群像劇であり、正面から見るとテレビドラマのようにも映る。

 当方、最近人名が頭に入りにくく、終盤にやっと人間相関図を捉えたという感じ。

 気づいた観客も多いはずだが、この映画、単純な人間ドラマではない。アイルランドを舞台とした『イニシェリン島の精霊』(2022)、その原型とも言える『静かなる男』(1952)の2作にも通じる構造を持つ。

 先月見た陳坤厚監督『小畢的故事』(1983、邦題『少年』)と同系統の要素を持つ映画とも言える。しかし、エドワード・ヤンの方は、予想以上に強烈なインパクトを与えてくれたのである。時代を先取りしていると言うより、予言的映画と言ってもよいのではないか。

 人と人との間には、様々な摩擦、すれ違い、衝突がある。国家体制や自国文化の超えがたい壁もある。そうした制約や限界を意識することなく、人間は類として、時間を過ごし空間をうごめく。

 90年代の台北から約30年。果たして、かの国の人々や取り巻く環境は、どのように変わったのだろうか?それとも、あまり変化していないのであろうか?

 そんな気持ちを起こさせる、故・楊徳昌(エドワード・ヤン)監督、渾身の作品である。

 

 

 


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