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アルジェの太陽〜ルキノ・ヴィスコンティ監督『異邦人 デジタル復元版』(1967)

 3ヶ月近く前のことで恐縮だが、3月9日(火)に新宿の映画館『シネマカリテ』でヴィスコンティ監督の『異邦人 デジタル復元版』を見た。

 原作も映画も著名な作品ながら、1968年に日本で公開された映画の方は複雑な権利関係か何かで、これまで長期に渡り一般公開が困難だったそうで、当方もこの度初めて鑑賞した。

 1942年のカミュ原作はあまりにも有名だし、論評おびただしいことから、本稿を書くにあたってほとんど参照していない。そもそも、日本人による解釈・研究だけでも山ほどあるだろうし、海外のものを考えると無数だろう。しかも、それらの一つひとつが難しそうで、手に負えそうもない。

 ヴィスコンティの同名映画は、映画関連書籍などでその存在は知っていたのだが、上記のごとく視聴機会がなかったところ、復元版が公開されると知り飛びついたのだ。

 ストーリーは、カミュ作品で多くの人の知るところでもあり、ここで語る必要はないだろう。映画は原作とほぼ同じ流れという印象だった。

 しかし、「原作と同じ」しかも、平板な印象を持ったことは、意外なことでもあった。

 この難解な文学作品、当方がチャレンジしたのは高校生の頃。1970年代、学校図書館の本棚には、三島由紀夫、高橋和巳らと並んで、カミュの著作集が収まっていたのだ。

 当然ながら、初回の挑戦はチンプンカンプン。

 2回目は大学生の頃だった。文学部を志望していたものの果たせず、社会科学系の学部に進学した。入学後、憲法や行政法でも勉強するかと思っていたところ、思想史なるものに目覚めてしまった。論理に弱い当方、倫理・社会は高校時代は苦手科目であったにもかかわらず、である。それで結局、就職にはあまり役立たない学問を専攻する羽目に。

 勉強は哲学に終始。ホッブスだのルソーだのに始まり、ヘーゲル、マルクス、ウェーバー、そして現代思想のフランクフルト学派へと進んだ。同学派の現役思想家である独・ハーバーマス氏の来日講演にも出かけた。場所は朝日新聞本社、通訳は学習院大学の三島憲一氏であった。『消費社会の神話と構造』の仏・ボードリヤール氏が日本に来たのもこの頃だったかと。そうそう、渋谷公園通りの山手教会に、マルクス主義者・廣松渉教授の話を聴きに行ったのもこの頃。

 この手の分野は、政治学なのか、社会学なのか、それとも哲学、文学なのか、境界線が不明瞭なのもよかった。個人的には、小説を鑑賞するようなスタンスで臨めるところも気楽だった。不謹慎にも、大体寝転んで読んでいたのだ。

 周囲の友人には文学青年、政治青年が多く、彼らが高校時代から思想系統の素養があるのに驚いた。こちらは受験問題集を消化するのに精一杯だったというのに。それにしても、哲学者は難解な文章を書くものだと、次第に食傷気味になった。

 当然、実存主義かぶれの者もいて、彼らの話題の中心はサルトル、カフカ、そしてカミュということになる。

 恥ずかしながら、未だに実存主義はよくわからない。高校教科書程度の理解にも及ばないかもしれない。カミュも、『異邦人』をはじめ、最近復活した『ペスト』など面白いと思ったことはなかった。それは、理解が足りなかったからだと思う。

 さて、思ったより小説のイメージに即していた映画『異邦人』である。

 イメージ通りだったということは、わが輩の理解もヴィスコンティぐらいはあるということか。

 いや、そんなはずはない。

 理解不足という点で気づいたのは、高校・大学時代はアルジェリアという国を全くと言ってよいほど知らなかったことだ。遠いアフリカ大陸の国なのである。もちろん世界史の勉強で、アルジェリア戦争は知っていたし、その戦争に関わるフレデリック・フォーサイスの世界的ベストセラー『ジャッカルの日』(1971)も読んでいた。ロマンチックな恋愛映画と思われがちなジャック・ドゥミ監督『シェルブールの雨傘』(1964)で、この解放戦争が重要なポイントになっていることも知った。

 ただ、遠国アルジェリアに関する知識はその程度のものだったのである。

 その後、社会人になってから、イタリア映画『アルジェの戦い』(1966)にいたくショックを受けた。これは、1954年から1962年のアルジェリア独立戦争におけるフランスに対するテロ闘争を描いている。

 つまり、『アルジェの戦い』は小説『異邦人』(1942)から10〜20年後の内戦下アルジェリアが舞台。『異邦人』は仏統治がより強固だったはずの時代のこと。

 映画『異邦人』では、眩しい太陽のもと、主人公ムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)が恋人マリイ(アンナ・カリーナ)と海水浴を楽しむシーンが心に残る。まるでリゾート地である。

 そして、アルジェの「太陽が眩しかったから」ムルソーはアラブ人を撃つ。

 映画を見終わった後、映像がイメージ通りだったにもかかわらず、どこか平たい感じがした。ヴィスコンティは、わかりやすかったのである。

 そこで、小説をまた手にした。定番の窪田啓作訳。

 3度目の通読で、ムルソーがフランス人であることを再確認した。そして、当方の理解不足が、支配者フランス人が被支配者であるアラブ人を殺害するというところに目を向けていなかったという点に起因すると思い至った。

 もちろん、主人公は「太陽が眩しかったから」という到底、理解を得られない理由で人を殺めてしまう。ここが、不条理たるゆえんで、当該作品の価値は失われていないと感ずる。また、カミュの教会に対する姿勢は明確で、小説・映画ともに、司祭を攻撃する場面にもそれが現れている。無神論者を主人公にしたところも、小説が問題作であり続けている理由であろう。

 しかし、今いちど映画の制作年が1967年であることを想起したい。これはアルジェリア戦争の終結直後である。ヴィスコンティは、歴史的事件が終わった後、間髪を入れず戦前を振り返っている、とも言える。

 小説の読者は、数々の高尚な論評や解釈にとらわれるあまり、アルジェ対フランスの歴史的観点を背後に追いやってきたのではないか。ヴィスコンティが、映画を観念的なものにせず、ある意味で平板に再構成した意図もそこにあるのではないか。つまり、不条理だとか神だとかという観念性をそぎ落とし(ただし、映画でも神について議論する場面はある)、時代と場所の具体性を骨組みのごとく露出させた。

 無神論ということで言うならば、太陽はあくまで「アルジェの太陽」なのだ。パリには「パリの太陽」が昇る。同じ一つの太陽だが、アルジェリアの太陽とフランスのそれとは違う。カミュが、ことさらママンの葬式後のムルソーの不道徳な行動、尊属殺人の不当性への言及や司祭攻撃を描くのは、やはりキリスト教をアラブ世界とは異なるものとして描き分けたかったからではないか。ヴィスコンティは、相容れない太陽を浮き彫りにしたかった。

 このように、小説には歴史的・地理的制約が伴うということを、ヴィスコンティが意識していたと考える。アルジェリア解放に対する態度が曖昧だったとされるカミュだが、かつてジャーナリストであり、共産党員でもあった彼が、歴史を意識しなかったとは考えにくい。

 カミュは、神を区別なく抹殺したという見方もできるかもしれぬ。しかし、少なくともヴィスコンティの映画は、アラブ世界における“異邦人”を視覚的に展開してくれている。ムルソーは、異なる神を仰ぐ世界の側の人間として“アラブ人”を殺害した。しかし、自分が属する世界の神は拒否できても、執拗にまとわりつく「アルジェの太陽」の光までをふり払うことはできなかった。

 ところで、WEBをチェックしていたら、アラブ人の観点から小説“『異邦人』を捉え直そうとする試みがあるらしい。カメル・ダーウドという人の「もうひとつの『異邦人』 ムルソー再捜査」というのがその作品。今度、読んでみようと思う。

 また、ジッロ・ポンテコルヴォ監督『アルジェの戦い』の方も、「デジタルリマスター オリジナル言語版」というのが、5年ほど前に公開されている。未視聴のため、ブルーレイか何かで見るつもりである。

 様々な解釈を許すのが文学の自由度が高いところ。どうやら、人文学の分野で、壮大な体系や高度な抽象化が求められる時代は過ぎ去ったようである。文学を出発点として、「開かれ」かつ「ダイナミック」な考え方が、研究者だけでなくあらゆる人々から生まれてくるのが、コロナ後の時代と確信している。

 

 

 



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