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「バナナブレッドのプディング」と川上未映子(その2)〜そして大島弓子

(承前)

「エピグラフ」:巻頭や章の初めに記す題句・引用句。題辞。(広辞苑第七版より)

川上未映子の「春がこわいもの」のエピグラフはこうである。

ーねぇ転入生 なぜいつもそう 雰囲気が深刻なんです
まるで世界がきょうでおしまいみたいに
ーきょうはあしたの前日だから……だからこわくてしかたがないんですわ
大島弓子「バナナブレッドのプディング」


なぜこの大島弓子のマンガ「バナナブレッドのプディング」なのか。本作の単行本化は1978年で、私はリアルタイムで読んでいるが、久方振りに再読した。

川上未映子が引用したのは、マンガの冒頭のシーンである。転入生、高校生の三浦衣良(いら)をクラスに紹介する教師と、衣良の会話である。

なぜ明日の前日はこわいのか、衣良はこう話す。「姉があした結婚するんです。そして わたしがインスタントコーヒーになってしまう日でもあるんです」、「つまり血液がフリーズドライ化してしまうほど こわい日だということです」。

この新しい学校で、衣良は幼なじみの御茶屋さえ子と再会する。衣良は、子供の頃、さえ子の祖父から聞いた怖い話が忘れられず、夜半のトイレには姉に番をさせる。その姉が結婚していなくなるのである。

さらに、衣良は両親の話を聞いてしまったという。それは、衣良に精神鑑定を受けさせようというもので、姉の結婚の妨げになってはいけないので、姉の結婚後にというものだった。それで衣良は、<きょうは(姉が結婚する)あしたの前日だから>怖いのである。

さえ子は「ボーイフレンドができればなおるわよ」と、少女マンガ的発想をし、それに対し衣良は自分の理想は「世間にうしろめたさを感じている男色家の男性」と応える。さえ子は兄、御茶屋峠に一肌脱いでもらうことにし、峠は“男色家“として衣良に接触する。そして、ドラマは転がり始める。

衣良は、姉がいなくなること、そして精神鑑定を受けることがこわかったのだろうか? 実は、自らが脱皮せざるを得ない未来がこわかったのではないか? 現実に直面することが不安だったのではないだろうか。

「バナナブレッドのプディング」は、まぎれもない傑作である。改めて読むと、マンガという一ジャンルを完全に飛び出し、文学的作品となっている。

少女は邪悪な心も持っている、そしてコントロールの仕方がわからない。だからあしたがこわいのかもしれない。その少女も、御茶屋峠の存在し、彼が「さぁミルクを飲んで」と話しかけることによって、<わたしはいま言ってみよう ミルクを飲んで『あしたね』『またあしたね』>と思えるようになる。

そして少女は少しだけ成長し、こんな夢を見る

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私には説明できないが、「バナナブレッドのプディング」と川上未映子の「春はこわいもの」は、どこかでつながっている。そして、その両方を味わえることを、とても幸福に思う。

小説もマンガも、世の中に必要なものである


*上に続く最終ページ。橋本治の少女マンガ評論「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」はこのページを最後に掲載している。明日は多分その話

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