見出し画像

ラジオネタをもう一つ〜NHK「ヤマザキマリラジオ」に萩尾望都登場

ヤマザキマリととり・みきの「プリニウス」(新潮社)が、第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しました。おめでとうございます! 

そのヤマザキマリが萩尾望都をゲストに迎えたNHK「ヤマザキマリラジオ」が5月2日に放送され、5月9日までradiko・NHKラジル★ラジルで配信されています。
この二人の対談が2時間近く聴くことができる番組、様々なトピックに会話が飛び跳ねていきます。

なお、以前にも書いた“萩尾望都クエスト“(入手可能な全作品を時系列に再読・初読という、個人的なプロジェクト)ですが、今も細々と続いています。最近は、SF長編「マージナル」(1985〜87年小学館)を読みました。聖母マザ一人によって子孫を産むことができる世界、そこに生きるジェンダーを超越した人々が織りなす物語。SFとは言え、詩的な世界でした。

印象的なトピックをいくつか。

今は“コスパ“、“タイパ“といった、無駄を省こうとする考え方がよく聞かれるが、無駄の積み重ね、合理的でない行動こそが、想像につながっていく。お二人とも強調されています。

萩尾さんの好きな国は、イギリスとドイツ。イギリスは「ナルニア」、「指輪物語」に代表されるファンタジーの宝庫、萩尾作品に通じます。ドイツは、ヘルマン・ヘッセ、トーマス・マン、そして「グリム童話」。さらに、神話・寓話の世界への嗜好が語られます。

萩尾さんは、自分は妄想の人間だと話されます。「妄想は愛の一種」とも。

1972ー76年にかけて発表された「ポーの一族」(小学館)は、40年の時を経て再開します。再開を後押ししたのは、夢枕獏だったそうです。夢枕さん、偉い!

萩尾さんは、同じ絵が描けないだろうということで躊躇していたのですが、短編なら描けるかなと始めてみたそうです。すると、

萩尾さん「本当にびっくりして、そーっとドアを開けてみたら、キャラクター(エドガーとアラン)がそのままその部屋にいて、あっ吸血鬼だから成長しないんだけど、そのまんまでいて、『あっ僕たちずっとここにいたからね』って言って、それで二人でおしゃべり始めたら、それが止まらないんですよ。あんなことがあった、こんなことがあった、こんなこともあったよって。もうね、ごめんね40年もほっといて。私産みの親なのに、子供捨てたみたいなって、ごめんなさいってう感じになって」と話されています。

なお、ヤマザキさんも11年ぶりに「続テルマエ・ロマエ」を開始されていて、同感されていました。
また、中断していた「ポーの一族」の連載も再開することも発表されました。

萩尾さんは、年齢から来る視力や、手の動きの問題から、デジタルでの作画に切り替えられています。マンガに対する熱意、創作に対する執念のようにも感じました。

萩尾さん「女性は〜、自分が女性であるにもかかわらず、女性は謎ですね〜」。そして、主人公が母親を求めるのに母親不在で物語が続く、スタインベックの「エデンの東」に言及されます。これを受けて、ヤマザキさんは、「エデンの東」で描かれるような男性の繊細さを、萩尾マンガはくみ取っている。それが男性ファンも多い理由では、そしてジェンダー超越と分析されます。

萩尾さん「ジェンダー超越、本当にその通りです。私、自分の女性的なジェンダーをどうしていいのか、さっぱり分からない」「ジェンダーを超えている人が、半分くらいいるんじゃないかと思う。みんな典型的な“男“・“女“というスタイルを求めているけれど、もっとあやふやなものなんじゃないのかと思うんです」。

萩尾マンガを読み解く鍵が、垣間見られたようにも思います。「マージナル」は、まさしくそういった作品でもありました。

萩尾望都は甲斐バンドのファンだそうで、これは私には初耳。とても意外でした。

さらに、二人はマンガ家の地位向上、マンガ業界はブラック産業であってはいけない、映像化に際しての考え方についても、熱く語り合います。正確には、ヤマザキさんが熱く、萩尾さんは静かな中に強い意志を示されています。


“萩尾望都クエスト“、次は未読の「完全犯罪〜フェアリー」(小学館)です。おっと、これに甲斐バンドについての想いが収録されているみたいです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?