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“大当たりー!“の舞台のような傑作〜永井紗耶子著「木挽町のあだ討ち」

歌舞伎の名演の幕切れ、万雷の拍手の中を抜けて大向こうからの掛け声が舞台に届く。

“大当たりー!“

そんな小説が、永井紗耶子の「木挽町のあだ討ち」である。既に各所で話題になっており、山本周五郎賞も受賞した作品、ようやく読んだ。

まずタイトルが良い。“木挽町のあだ討ち“、そのまま芝居のタイトルになりそうである。 “木挽町(こびきちょう)“、今の住居表示では銀座X丁目という味も素っ気のない名前に変わってしまったが、東銀座と言われるエリア、歌舞伎座が建っている地域である。江戸時代から、芝居のメッカであり、この町にあった歌舞伎小屋、森田座が小説の舞台である。

ちなみに、現歌舞伎座の地下には物品販売やイベントに使えるスペースがあるが、 劇場はこの場所を“木挽町広場“と称している。

<睦月晦日の戌の刻。辺りが暗くなった頃、木挽町芝居小屋の裏手にて一件の仇討あり。> 小説の冒頭である。赤い振袖をまとった若者が、大柄な博徒に振袖を投げつけ白装束となり、この男と真剣勝負。若衆は伊納菊之助、父の仇・作兵衛に一太刀を浴びせる。

場面は変わって<芝居茶屋の場>。齢十八の若侍は初めての江戸番、この“木挽町の仇討“について、芝居小屋の前で宣伝する木戸芸者に当時の様子を尋ねている。この第一幕を皮切りに、若侍は森田座の関係者に話を聞いて回る。役者に舞台上の立ち回り〜斬り合いの場面の指導をする立師、衣装係や小道具製作者など、裏方として興行には欠かせない面々である。

彼らの話は、仇討の経緯などにとどまらず、それぞれの生活へと広がっていく。そして、個々のストーリーは、あたかも歌舞伎の一つの幕のようである。

歌舞伎の演目の中には、本筋のみならず、そのドラマに関わりあった様々な人物にスポットライトを当てて作られた場面を入れ込む作品がある。例えば、「仮名手本忠臣蔵」は、大星由良之助が主君の仇を討つ話だが、これにお軽・勘平の悲恋物語を差し込む。こうした演出によって、物語は厚みを増し見物客は、様々な視点を共有することができる。

この小説は、その手法を取り入れて、“仇討“の世界を広げていく。

裏方の一人、芝居の筋書きを作る戯作者は、元々は旗本の次男坊、恵まれているが故に、<手前の中が空っぽ>だと嘆いていたが、五瓶という上方の作家がこう話す。<「面白がったらええんとちゃいますか」>、そして面白がることも芸だとし、<「わしゃ、芝居小屋の木戸番の子で語り草になるような人生はこれっぽっちも歩んどらん。それでも芝居だけは仰山見ましてん」 >。そして、五瓶は割り切れない現実も、芝居の一場面と結びつけて面白がってきたと。

人は観劇を通じて知らない世界を擬似体験する。それが時には、自身が直面している困難を克服するためのちょっとしたヒントを提供することがある。五瓶はそうしたことを言っているように私は感じた。そして、より多くの人が人生を“面白がる“ことができるように芝居の脚本を書いていると。

それは、作者・永井紗耶子の思いとも通じているのではないか。

仇討の主人公、菊之助がこう語る。<(仇討について語ってくれた)方々の数奇な人生は、私の狭い了見を大きく広げて下さった>。舞台・映画・小説は、我々の狭い了見を広げてくれている。

こうして組み立てられていく、「木挽町のあだ討ち」だが、終盤にかけては“見事“としか言いようがない。詳しくは、是非読まれて体験して欲しい。

「大当たりー!!」



なお、ちょうど読了したタイミングで、第169回直木賞の候補作が発表となり、本作がその一冊としてノミネートされていた。



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