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1984年の萩尾望都〜世界が広がるターニング・ポイント(その3)

(承前)

1985年の萩尾望都はとどまることを知リません。名作2連発の後、「プチフラワー」の5・6月号に出したのが、“メッシュ・シリーズ“の最終回100ページ、「シュールな愛のリアルな死」です。

この最終回のテーマは、メッシュと母親そして父親の関係です。萩尾さんと両親の関係はかなり難しいものだったようで、そのことから親子の関係は重要なテーマとなったと考えられます。「メッシュ」の最終話は、メッシュとその両親の関係に本格的に切り込み、素晴らしいラストシーンが描かれます。

また、彼女は1982年にモスクワ旅行中に交通事故に見舞われます。これも1984年がターニング・ポイントとなった背景に見えます。

萩尾さんらのツアーが乗ったバスが、モスクワ郊外で除雪車と正面衝突、救急車で病院に運ばれます。著書「一度きりの大泉の話」にはこう書かれています。

<この事故にあった後、明るくなりました。人間ってあっさり死ぬなあ、と人生を達観したのか、はたまた頭を打ったせいか(?)> 萩尾さんは、仕事を半年休みます。

さらに、こう書かれています。モスクワの病院を退院し2週間後に日本に戻った萩尾さん、<喧嘩をしていて私とは半絶縁状態だった両親が成田空港に迎えに来てくれました>。

萩尾望都のご両親は、娘がマンガ家になることに大反対でした。「ポーの一族」などで賞賛を浴びるようになっても、彼らは<漫画家という仕事はくだらないもの、恥ずかしいものと思っていました>。「一度きり〜」によると、お母さんはNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を観て、初めてマンガ家が立派な仕事と認識し、改心されたそうです。なんと、2010年のことです。

こうした状況が、萩尾望都の描く親子関係に影響してい流のだろうと思うのです。

萩尾さんの功績の一つは、少女マンガにSFを持ち込んだことですが、この1984年においてもSFの世界を広げます。


火星改造計画に参画しようと考える、タクトとエスパーのモリの物語「X +Y」。萩尾望都の創作力の凄さをも感じるこの作品は、SF作品に贈られる日本では最も歴史の古い星雲賞のコミック部門を受賞します。コミック部門は、1978年に創設されますが、「スターレッド」「銀の三角」に続く、三度目の受賞となりました。


パリを描いたたと思ったら、今度は宇宙世界。彼女の創作力はどこまで広がるのでしょう


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