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“日本のフィルムノワール“〜加賀まりこ主演「乾いた花」

女優・加賀まりこの初期の代表作として上がるのが「月曜日のユカ」(1964年日活)と「乾いた花」(同年松竹)。

中平康監督、加賀まりこの魅力全開の「月曜日のユカ」は数年前に観ていたが、「乾いた花」はU-NEXTの“マイリスト“に入れたまま放置していた。

現在発売中の「文藝春秋」十月号には、“加賀まりこ〜私は義侠心で生きてきた“と題されたインタビュー記事が掲載されている。 聞き手は同社から「仁義なきヤクザ映画史」を上梓した伊藤彰彦である。

このインタビューの冒頭で言及されるのが「乾いた花」で、読み進む前にさっさと映画を観なければと、ようやく“マイリスト“から再生を始めた。

「乾いた花」は、確かに“ヤクザ映画“というジャンルではある。しかし、その趣はいわゆる“任侠もの“とはまったく異なるものである。監督は篠田正浩、原作石原慎太郎、音楽に武満徹、これだけで普通と違うことはわかる。

主演の池部良は、刑期を終えて刑務所を出てきた村木という男、親分の安岡に東野英治郎とその手の映画のように始まるも、村木が顔を出した賭場に登場するのが加賀まりこ演じる冴子という謎の女性。そこから、アウトローの世界を舞台にしながら、外側にいる村木と、ギリギリのボーダーラインを歩く冴子を中心とした、極めて魅力的な映画へと展開していく。

ヨーロッパ映画のような、ある種芸術的な作品となっているのだが、鑑賞後に上記のインタビューを読むと、こんなエピソードがあった。本作はカンヌ映画祭で上映されるのだが、パリに渡った加賀まりこに、ゴダール、トリュフォー、ポランスキーが、<三人とも「素晴らしい」と言ってくれた>(文春インタビューより)と話している。上記の伊藤の著書にも、「乾いた花」に関する加賀へのインタビューが掲載されているが、それには<後年、マーティン・スコセッシ監督が松竹からフィルムを購って三十回以上観たとか>(「仁義なくヤクザ映画史」より)とも語っている。

当然ながら、加賀まりこの魅力は素晴らしい。賭場で手本引き(胴元が選んだ1〜6までの札を張り手が当てるもの)の胴を取るシーンは、富司純子が「緋牡舌博徒」で見せた、プロとしての姿とはまた異なる、それが故に“危ない“美しさを見せてくれる。

文春のインタビューで、「乾いた花」撮っている時に、撮影所で加賀とすれ違った津川雅彦は、<すっと私を避けていく。追いかけて『なんで?」って訊くと、私に、ナイフでも持ってそうな怖さがあるって言うの>とある。そんな加賀まりこが画面の中にいた。

この映画を観ながら、“日本版フィルムノワール“だなと思い、本稿のタイトルにしようと考えていた。その後、「いや、フィルムノワールの正しい使い方か?」と。“フィルムノワール“は、フランス語ではあるが、フランス映画を指すものではなく、<1940〜50年代にアメリカで流行した犯罪映画のジャンル>(広辞苑第七版)とある。この定義が必ずしも正しいわけではないが。。。。

などと思案していたら、「仁義なくヤクザ映画史」には、<松竹映画の中で、東映ヤクザ映画にもっとも影響を与え、日本のフィルムノワールとして国際的な評価が高い作品>とされていた。

お墨付きを得ました、“日本のフィルムノワール“、加賀まりこが輝く「乾いた花」です


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