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『東京公園』の余韻に浸る

ここ数日、映画『東京公園』の余韻に浸っている。

ゆったりと流れる時間。公園の穏やかな色彩。心地よい音楽。
懐かしさを感じさせる家の中。バーの照明。大島の海。アンモナイト。
カメラを構える春馬くん。母親の形見のカメラ。モノクロの写真。

もう何回も見ているけど、好きだなあ、この映画。

あらすじをおおまかに

2011年、小路幸也の小説を青山真治監督により映画化されたもの。

「彼女の写真を撮ってほしい」突然の依頼が始まりだった。東京の公園で、写真を撮り続ける大学生の志田光司(三浦春馬)は、幼い頃に亡くした母の影響でカメラマンを目指していた。ある日ひとりの男性から「彼女を尾行して、写真を撮ってほしい」と突然の依頼される。理由も分からないまま依頼を受けた光司だが、このことをきっかけに自分自身と、そばにいる女性たちと向き合うことになる。何でも話せていっしょにいることが自然だった幼馴染の富永(榮倉奈々)。いつもやさしく力強く支えてくれる、親の再婚で義理の姉となった美咲(小西真奈美)。そして、記憶の中の誰かに似ているファインダーの向こうにたたずむ謎の女性。光司の視線が3人の女性をまっすぐ見つめたとき、すべては少しずつ変わり始めるー。
              ~Amazon Prime Video 「東京公園」より

と、あらすじとしてはこんな風に紹介されているが、全体的にゆったりと流れる空気の中で、見ている側に解釈を委ねるような映画。
よって、鑑賞後、『東京公園』の余韻に浸る中で、ふと「ん?あれは、こういうことだったのかな」と思い浮かぶような、自分の中でゆっくりとじんわりと解釈が生まれていくような感じ。そして、見る度に、また「あれ?こういうことかな」とふと思いついたりするような。
原作を読んでいないので、もしかすると原作を読むと疑問に対する解が記されているのかもしれないが、敢えてそれを読まずに、映画そのものの空気感、雰囲気を楽しんだ方がいいように思う。解は、見る人それぞれの数だけあるかもしれない。だから、ここからは丸っきりの私個人の解釈。

東京を公園と捉えるとは

東京というと、殺伐としたところ、と捉えられることが多い。きらびやかなネオン、至る所にビルが立ち並び、無数のひとが行きかうのに、ひとりひとりはなぜか孤独。そんな風に捉えられて描かれることって多いと思う。

でも、この映画は、その東京を公園と捉える。
パーティの夜空の下のバルコニーで、酔ったおじさんが光司に投げかけるこの言葉が、映画のタイトルになっている。

「東京の中心には、巨大な公園がある。東京は、その公園をとりまく、さらに巨大な公園だ。
憩い、騒ぎ、誰かと誰かが出会ったりする、僕たちのための公園、それが東京だ」

なんだか、あったかい、すべてを受け入れる、そんなところ。そんな風に東京を捉える映画って、なかなか無い。東京ってなかなかいいな、って、そんな気になる。

そして、後半で尾行依頼した初島さんが光司にこう言う。

「君の写真は被写体をあったかく包んでる。まるで公園みたいだ」
「君と話してると、まぁのんびりやってもいいかなって気がしてくる。」

ああ、東京公園って光司のことなんだな、とそう思う。

春馬くんが纏っている空気感

とにかく、春馬くん演じる志田光司が纏っている空気感が好き。なにかのインタビューで、この光司が素の自分に一番近いって言っていた春馬くん。だからなのかな、役になると”三浦春馬”そのものを消してその役にしか見えないのが春馬くんの特技だけれど、この光司だけは春馬くんそのものに見えてくる。
肩の力が抜けていて、鷹揚。誰に対しても同じように接する。ひとの話をじっくりよく聞く。決して積極的ではないんだけど、心はいつも開いていて何ものをも受け入れる感じ。

亡くなった親友ヒロ(染谷将太)の霊が光司にだけは見えるが、それもなにか納得してしまう空気感。偏見を持たずに、幽霊さえも受け入れてしまいそうな感じ。
ヒロが、成仏できずに「死んでる自分だけどこにも行けない」と嘆いた時も、ヒロの方にきちんと座り直して「お祓いしようか?」と真面目に提案する。相手の話をちゃんと聞いてなんとか力になろうとする姿勢。
こたつに寝転がりながら富永が「私、高校んときに一度死んでるんだよね・・・」って言うと、同じく寝転がりながら驚くふうでもなくのんびりと「ふうん……なんで?」と聞き返すけど、決して否定はしない。
毎日違う公園に子供を連れて出かける妻(井川遥)の浮気を疑い余裕を無くした挙句、相手は光司なんじゃないかと疑心暗鬼になり酔って絡んでくる初島さん(高橋洋)にも、「なんなんですかっ!?」って口をとがらせながらも根気強く話を聞いてあげて、逆に自分の自信のなさや終わった恋を打ち明けちゃったりする懐の深さ。
どんなものにもすうっと柔らかく形を変えて、肩ひじ張らずに自然に寄り添う感じ、すべてを受け入れる感じ、そんな光司がめちゃくちゃ愛しい。

取り巻く人々との関係性が絶妙

光司を取り巻く魅力的な人々との関係性がとても素敵で絶妙なのだ。

➀バイト先のマスター原木(宇梶剛士)との関係性
 もともとは、義理の姉美咲の行きつけのバーだったが、美咲の紹介で働くことになるバイト先のマスター原木は、美咲の切ない光司への想いにいち早く気づいていて、「カウンター越しに話す君たちを見て、僕は神に祈ったね。」と二人が結ばれることを願っているが、それは決して簡単ではないこともわかっている。数年前に亡くなった妻の明美さんとの想い出を大切にしていて、本来ゲイである自分が運命を感じプロポーズした話や、富永のいびつな魅力を見抜いていて「それをわかる人はそういない」と言ったりする。光司きみにはまだわかんないよな、君にもわかるときが来るよ、ということか。光司と彼を取り巻く人たちを少し上の方から温かく見守っていて、でも運命には抗えないことも知っている。深い。そういう人がそばにいて、いつも見守っていてくれるって心強いこと。

➁義理の姉の美咲と光司の関係性
私にも弟がいるからよくわかるが、母性本能の強い女性にとって、弟って特別なんだ。ほんとに可愛くてしょうがなくて、なんとしても守ってあげたい存在。おそらく美咲にとって光司もそういう存在だったと思う。いつの頃からか異性として光司を見るようになったが、敢えてそれを自分の中で否定しながら生きてきた美咲。でも、想いはそろそろもう堪え切れないところまで来ている。美咲の部屋で、真っすぐに向き合おうと撮影する光司をファインダー越しに見つめる美咲の表情は切なくて辛い。もう隠し通せない、想いは溢れてしまった。溢れ出すがままに合わせる唇。受け入れる光司。結局、そのキスで二人にはけじめがついて、もうこの先は無い、と納得するんだけど、正直その真意が私にはわからなかった。後日、光司も初島さんに「小さいころから好きだった人に告白したんだけど、もうこの先はない、ということがわかった」って言っていたから、光司も美咲のことを異性としてずっと想っていたらしい。なのに、キスをしてみて初めて、自分たちは姉弟であるという線を、理性ではなく本能でもどうしても越えられないとわかってしまったらしい。キスの後の、二人の納得したようなやりとり。うーん、なぜだ。私には疑問が残る。

➂公園巡りをする美人妻百合香との関係性
初島の依頼により、尾行して写真を撮り続けるが、光司はいつも隠れている。会話は一度も交わさない。百合香の美しさに惹かれてもいるが、どうもそれだけでは無い。ある時、ふっと目が合ったような気がした。本当は、堂々と姿を現し、真正面から百合香の写真を撮りたい。この感情はなに?と自分でもわからず戸惑っている。後に、幼いころに亡くした母親の面影を見ていたということがわかる。

④依頼人初島さんとの関係性
いつもおっとりのんびりしている光司だが、初島さん相手にだけ雄弁で強気。そして、初島さんの妻百合香に対する疑惑だけは、この映画のなかできちんと回収されている。

⑤幼馴染の富永と亡くなったヒロと光司の三人の関係性
富永とヒロは付き合ってこそいたけれど、ヒロの撮ったデジカメには「私と光司の愛のメモリーかよ!」と富永がつっ込むほど、光司と富永の仲良しの写真だらけ(ヒロが撮影しているから)だったし、おそらく小さい頃からいつも三人で居てそのバランスを保っていたような関係性だったんだと思う。どのような経緯でヒロが亡くなったのかは不明なのだが、ヒロは成仏できないがためにまだこの家にいる。自分の死を巡って、富永と光司の嘆きを目の当たりにして、泣いてないのは自分だけっていうところに後ろめたさのようなものを感じている。富永はゾンビになってでもヒロが現れてくれることを待っていて、ゾンビ映画を見たりしてその時に備えている。光司と富永の想いにに寄りかかっているだけなのかも、とヒロ。成仏するには「なんかきっかけになることがあるよ、きっと」とそのきっかけを待っている。

⑥富永と光司との関係性
いつも、鋭く分析して切り込む富永に対し、光司はのんびりした返事で返す。のらりくらりと。富永は、光司のことは全てお見通しで、姉の美咲の光司への恋慕にも気づいているからなんとか二人をくっつけようとする。自分が恋人ヒロを突然失ったから光司には大切な人を失ってほしくない、と言う。本当は富永は自分でも気づかず光司を好きで、美咲のことがあるからその気持ちを封印していたのかもしれない。そして、光司も潜在的に富永を好きだったのかな、自分でも気づかずに。大島で、美咲に富永のことはどうなのかと聞かれた時に「(富永とヒロの)あの二人の間には誰も入れないよ」と答えたのは、その気持ちの表れだったのかな。

ちゃんと空に昇っていくということ

ずっと冷静でしっかりして見えた富永が、荷物を持って光司の家に強引に越してくる。今まで抱えてた辛い想いを一気にぶちまける。

わたし、ずっとひとりでやってきたしこれからもなんとかやっていかなきゃいけないんだよ。でも、それ超しんどいんですけど。あの死んだバカのせいで、あいつが私のことなんかほんとはどうでもよかったなんてわかってるよ。私だって、あんなやつ、きっとどうでもよかったんだよ。単なるさ、単なる思い込みだよ。けど、だからっつって無くなるわけでもないじゃん。記憶とか、こんなゾンビ映画見ていつでも覚悟とか、そんなのごまかしですよ、所詮。だから、そこってさあ、頼れるのマジで光司しかいないんだよ。だからさ、お願いだからさ、嫌がらないでよ。

「当たり前じゃん。嫌がらないよ。いろよここに。」と、富永を受け入れる光司。

光司に受け入れられて、富永は癒される。富永を受け入れて、光司も癒される。

富永の背中に置いた光司の手に水滴が落ちる。ヒロが泣いている。二人が寄り添い生きていくのを見届けたことがきっかけになり、思い残すことはないと思ったのだろうか、けじめがついてようやく成仏したヒロ。ちゃんと空に昇って行ったんだね。

受け入れるということ

やはり、ここでも私は「受け入れる」と言うことを春馬くんに見せられた。
自分の気持ちを受け入れるということ。そして、周りのひとを受け入れるということ。受け入れるということは、理解しようとすること。それがもし、常識的に見たら外れていることでも、愛という方向を見て行くと、自然と受け入れることになるんだな。

私は、光司みたいな人になりたいな。

それは、つまり、春馬くんみたいな人になりたいということなのかもしれない。

公園みたいな人に。








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