知ろうとすることが大事な時代になりました(その1 建築設計屋として)

私がこういう風に物書きをやる以前、30年程建築設計に携わってきました。私が学校の時に学んだ頃より法律や考え方、設計ではCADがまだ出始めでPCすらまだMS-DOSの時代で動かしており一般的なものではありませんでしたが、今ではCADが当たり前で、住宅設計では数時間で積算・プレゼンまで終わりその日に客先まで提案するというぐらいの事が当然になってきました。ですから、プランニングは極めて資本主義な意匠で代わり映えしないお家になります。と言いながらもお金稼ぎの為と割り切りながら業務として行ってきた時もありました。

まぁ、30年前ぐらいから変わった事と言えば「シックハウス」の問題がありその為に法規も改変され、寝室や居間には24時間換気の装置が必要になったり、使用する内装材のグレードによって使用できる面積があります。大抵は無制限に使用できる素材が多いのですが、たまに出来ないものがあればそれを越えた部屋については機械換気設備などが必須になるとか(正直滅多にありません)。構造では阪神・淡路大震災や東日本大震災で構造設計のシステムや法規も大きく変更かつ複雑化して、その為の資格制度の改変もされました。(私は国家試験には縁がなかったので(要するに受からなかっただけです(笑))、あまり影響はありませんでした。)

その皺寄せ《しわよせ》は現場に反映してきます。正直現場レベルでは工業化が思っているほど進んでいるわけではないので、省力化とコスト削減、その為の日程の短縮等による弊害、更には職人さんの絶対数が激減しており逆にその分のコストアップになり、業務する人間にはお金よりストレスの方がマシマシになり心が病んだり一現場で辞めたりしていたりします。設計を担当している人間も慢性的に人手不足になり、業界全人手不足な業種になってきました。それでも住宅やマンションの建設を作っているのを見て、なんだか日銭稼ぎの為の資源の無駄使いをしているのかなとも感じるようにもなりました。そうなると寂しいものです。

このように感じるようになったのも、心の病になり否応なく離れざる得ない状況になってから業界や設計という仕事、そして自分の生き方を改めて見た時に業界の中に居た時には見えなかった事実を直視するしか出来ませんでした。そういう気持ちでここ5年は色々整理をしてきました。

それで、色々知ることも出来たので漸く一線を引く立場になる事を決めました。第一線で建築設計でやることはもうしないと思います。それまで私の眼が持ちそうも無いので。それでもお手伝いぐらいのレベルでの「お付き合い」は有りそうなら、それはやぶさかでないかと思います。でも、その際に「お手伝い」するための知識は仕入れる事が必要です。恐らく今まで以上に努力は必要かと思います。

ただ、不要なカタカナ英語は基本はスルーしますけど(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?