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昔の上司が誕生日だと気づいた

当時、上司は御令嬢のなりゆきを心配され
悩んでいた
御令嬢は教師で
自身の受け持ちが学級崩壊し、うつ病に陥った

学級崩壊に至った原因はクラスのイジメだった

クラスにはイジメがあり、親分児童が子分を従え
好き放題だったという
イジメられた児童は不登校になり
教師が親分児童を叱っても聞く耳を持たない

教師は、子分児童を集めて叱ったところ
子分児童が堪りかねて親分児童を無視
親分児童をよく思わない児童も
親分児童を無視していたら
親分児童の親が「うちの子は被害者」

学校へ乗り込み、クラスの子全員が加害者
校長がクラスの児童を叱り
学級崩壊へ転落したのだという

ここまでが僅か1ヶ月だったらしい


想像の幅を拡げる力がない人であれば
人の気持ちを読もうとしない

例えば、外国人や価値観が異なる人
信教が違う人の気持ちを推し量るのは難しく
自分と異なる人を
異物として扱うのは日常でも見受けられる

精神的な病の人へネット記事を読んだだけで
人の気持ちが分かったつもりになる人もいて

恐らく親分児童は
自分と異なる人を異物と扱っただけで
イジメと認識してなかったのではないかと推測する


親分児童タイプというのは
教師から「そんな事をしたら傷つくだろう」
指摘されても不思議な顔をし
「何故したらダメなの?あの人おかしいのに」

毒親に類似している

例えば、母親が苦手なデザインの鞄だと思ったら
実子が気に入っていても
父親や祖父母から見ても可愛いと認定されても
「私は嫌いよ」「なに、その不細工な鞄」
言い放ち、実子を泣かしてしまう

実子が傷ついたことに気がつかず
「どうして泣くの」「うっとおしい」
父親が母親に注意すると
「だって私は嫌いだもん」

こういうのは、意地悪で言ってない
むしろ本音を語っただけで
何故、実子が傷ついて泣いているか分からない
そして、言ってはならない領域を想像しない

一般的に、人の気持ちが分からない人がいる

わたし自身、人の気持ちが分からない
分からないから
文章など言葉にして具体的に伝えてもらう

基本的なコミュニケーションから
わたしの実体験や周りとの交流から得たデータを
分析で本来は分からないはずの他人の気持ちを
推測し、仮定して相手の感情を酌み取ろうとする

人の気持ちが分からない人は
関心が他人に向かわず
自分の中で他人の気持ちを決めつけて
自己完結してしまうのでデータが増えなければ
分析だって的外れになる

そして、人が自分の思い通りにならないと
誹謗中傷をし、暴力へ走る
それが「常識を教える正しい在り方」と信じて

わたしは長期に渡る人格否定をされた際
周りはそれに気がつき
人格否定する人へ配慮せよとアドバイスされた

「ネットに投稿すると
人格否定する人を刺激するので投稿はやめて
人格否定する人が落ち着くのを待とう」

わたしは忠告通り、投稿を控えた

すぐあと、人格否定する人は
新しいターゲットを見つけた、悲劇

理不尽は
無知で無関心で無責任で想像力のない人こそが
人に残酷になれる

憎まれっ子世に憚るを温存させるのだと感じた

「かけがえのない命」とか言いながら
いじめられっ子よりいじめっ子に注力し
なんなら人権の重さまで変わってくる
人の存在に矛盾を覚えて生きている