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透明な感受性のやり場

先日は食事を作らず
母と外食に出た

隣の席へお座りになった
高齢のご夫婦が上品で
店員さんにも丁寧な言葉遣い

杖をついて歩くご婦人が
転びそうになって恥ずかしかったと
頬に両手を添えて俯かれた

「ちっとも恥ずかしくないよ」ご主人は慰め

ご婦人は溢すように「ごめんなさい」

「支え合ってきたのだから
これからも
足りない部分を補い合おうね」
って、ご主人

わたし、咄嗟にこのようなセリフが出てくるかな

透明な感受性のやり場
誰かの唯一無二
ひとりだけ持つ価値観から
ふたりで新しく生む価値観の共有

公園や美術館に行ったり
お気に入りの動画を観たりは1人でもできて

でも
「今日のあの絵、よかったね」

美味しいものを一緒に食べて、美味しい!

誰かと感動を共有したくなっても
話す相手がいないのは寂しい
本音を語って、否定されるのはツラい
支えるや補うは何も特別なことじゃなく
自分に呼応してくれる人がそばにいることかも
なんて思う

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