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誤作動スイッチ、止まった

小さな集団にも常識が存在する
家庭なら家庭の、会社なり友達の間
何らかのルールがあり、協調していく

視野狭窄になると、小さな集団が
自分を取り巻く全世界に見えてしまう
地理的に、ユーラシア大陸があり
アジアは大陸と島国があるのに
分かりきっていながら小さな集団が全部に錯覚する

わたしの中では「アホくさ」と感じる常識があり
わたし自身ができること・できないことの区別をし
できることをやり
できないことはやらない


この数年間、わたしは誤作動を起こしていた

小さな集団の常識に従い
「おかしい」
先行きを計算し、規範や経験則に基づき
おかしいことを頭で分かっていながら
誤ちを選択し、失敗してきた

そして、誤った選択と失敗した自分へ
1ミリも疑問視せずに昨日まで生きてきた

我に返るきっかけがあり、立ち止まる

わたしは数年前まで
運良く地雷を踏まずに生きてきたんじゃない

わたしはわたしの心に従い
善悪と損得の「善・得」を
自分へ旨みがある方を掴んでいたに過ぎず
他人から「冷たい人」と言われようが無視していた

小さな集団にしがみつかなくとも
猫の奈々がいて、恋人がいて、友達がいる

周りやSNSで愚痴を言わなくても
ジムへ行き、本屋や散歩に出かけ
家では常備菜やピアスを作り
休日は気晴らしに、大好きな洋服を見に行った

小さな集団に逆らい、小さな集団の非常識を選び
小さな集団で孤立を感じる間もなく
わたしはわたしの存在を重んじてきた


誤作動の原因は、小さな集団の常識に倣う
「世間に対して勝算0%でも、人に寄り添うことが大切だ」

バカみたいに人に好かれることが重要で
嫌われたら負け犬になるのを恐れ
小さな集団から褒めら、認められることが
最重要課題

そうじゃなければ不安で
誰かと答え合わせをしなければならない日々

自分を蔑ろにしても、他人に寄り添うって
それも「間違ってる他人に寄り添う」
全然正しいことじゃない
では、間違ってる他人に意見をするか?
それはない

以前のわたしはそこで人を見ていた
意見してもいい人と怒らせたら面倒な人
会社では怒らせたら面倒な人でも
ギリギリの忍耐力で付き合っていたが
プライベートなら、シラっと無視していた

いつの間にか、シラっと無視しない自分がいた

他人を尊重するという名目で
どんな人にも寄り添うのが正しい人の在り方と
間違った人へ寄り添えなかった、罪悪感
これが人から好かれて褒められ認められる形だと

だから誤った選択をした自分に
何も疑問視しなかった
人の気持ちが分からないから
正しいのは、間違った人にも寄り添う姿
わたしは自己暗示をかけ、洗脳していた

何ーーーにもリターンがないのに
デメリットだらけで

そんなもん、違うに決まってんじゃん

小さな集団から仲間はずれにされ嫌われる
「損」をしても
自分や世間に「得」を取る
今すぐには現れない先々のメリットが大きいなら
小さな集団なんか要らないよ

道徳と世間一般の常識を視野に入れ
小さな集団の非常識を選ぶ
何かの選択を迫られ岐路に立ったとき
自分の心に従い、予測しながら選んでいく

未来のわたしが後悔しないように
わたしが望む結果になると信じて