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事実をすり替えられたの?

事実のすり替えが起こるとき

事実は1つしかないのに
相手の主観的真実が軸になり、話が噛み合わない
そして誰かが泣かされる

事実は客観的なもので、動かぬ軸
真実は主観的なもので、個人が感じたこと
第三者に話すときは、ここを区別して話さないと
有りもしない出来事で、他人は思わぬ痛みを受ける

事実のすり替えで、分かりやすい例を出すと
【事実は、店員と客の間柄のケース】

店員はマニュアル通りの接客をするも
客がポジティブに脳内変換し
「店員さんは私に気があるかも?」
店員を待ち伏せし、プライベートにまで立ち入る
ストーカーが一丁あがり!

店員と客のネガティブバージョンはカスハラ
(=カスタマーハラスメント)

店員はマニュアル通りの接客をするも
客がネガティブに脳内変換し
「店員が自分にだけ不利益を与えた」
店舗へ嫌がらせの電話やネットにデマを拡散する

どちらも主観的観念から発生し
ストーカーもカスハラも
どちらも揚げ足取り思考が元になる(=詭弁)

自分の方が優位に立ちたい表れと
つまらないことで自尊心を保つ卑しい心は
事実と真実がパラレルワールド化する
わたしはそう睨んでいる

木を見て森を見ず、は、マシ
森を見ず、枝や葉脈ばかり見ては
ごねて人を困らせる

多分、そういうモノの見方しかできないのだと思う
自分の世界観が世界だと認識しているのか
クリエイター向きの性質なのかもしれない

しかし社会人生活では、論点のすり替えが激しく
面倒な人として扱いにくいと思う

事実を事実として認識できないのだから
有りもしない出来事が爆誕して
「言った・言わない」「やった・やらない」
トラブルメーカーになりやすいからだ

トラブルが発生した折
論理的思考で看破せよとビジネス本にはある
批判的な目を用いて、論理的思考をする

批判と揚げ足取りは、同じようで違う性質を持ち
分かりやすく言うと
・評論家が「国民によりよい未来」を「目的」に
疑ってかかるのを『批判』
・アンチが「○○を潰すため」の「手段」に
疑ってかかるのを『揚げ足取り』
…と、祖母はわたしへ教えてくれた

よって、トラブルを解決に導きたい批判的視点と
「なんで?どうして?」の論理的思考は
自分がどう動けばより良い明日が来るのか帰結する

事実のすり替えで、濡れ衣を着て泣いている人
恐らく
反論しても相手からシャットアウトされるか
もっと酷い目に遭って困っていると想像する

事実のすり替えをする人は
コピーしたように他の人にもやっている
それしか取り柄がないもの
事実のすり替えをする人は、十中八九が孤立する

自分も詭弁で相手を封じ込めても
屈辱を感じた相手から、逆恨みされるだけ

仕返しや論破しようと考えず、手を下さず
自分は証拠や言質も残さないよう
長期的な目で
そういう人が沈没していくのを眺めていよう