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思いきり人のせいにするぞ

昨今の世の中
「おかしな事はおかしいと声をあげよう」
素直に良い風潮だと思う反面
この風潮に、被害者意識の高い人が混ざり
なんでもかんでも「ハラスメント」になりつつある

被害者意識が高い人とは、つまり
「すぐ他人のせいにする人」
約20年前から自己責任論が横行する中
被害者意識が高い人が誕生するのは、無理もない

わたしは中年で
「人のせいにするな」と
学校で教わってきた世代にいる

教科担当の教師が授業もせず
パチンコ屋に入り浸りだった折も
勉強は生徒の本分だから、自習や家庭で
自ら学習すべきで、教師のせいにするな

部活での練習では、誰の責任でもなかったのに
誰かが罰を受けなければ
コーチが八つ当たりで振り上げた手が収まらない

暴力を諌めるには、誰かに責任をなすりつける
ライヤーゲームのテクニックじゃん

こういった理不尽を経験すると
「アタシ、悪くないもん!」
自己防衛本能が働くのも理解できる

実際に「人のせいにするな」は
大人が責任の所在を自分のせいにしたくないので
子どもに語気の強い言葉と暴力で
コントロールしてきた

力関係が上にある人に原因があるケースが多々で
自分の落ち度を
「人のせいにするな」と転換している

子どもや女性、障がい者など、あくまでも
自分がコントロールできる範囲で
誰かを犠牲にしないと解決しないから
手っ取り早く利用されたに過ぎない


「善人は悪いことをしたと認める人」だと教え
怒らないから言ってごらんと信頼させ
「先生にだけでも言いなさい」と、そそのかし
子どもは恐怖から逃げたくて、冤罪でも謝罪をし
教師は弱味を握ったり

わたしはこうやって、担任教師に胸を触られたぞ

「やっぱり、わたしは悪くない」
教師はわたしを支配しにくくなったら
わたしに、胸がある女子が悪いと
教師のやった悪事には触れない、謝らない
わたしのせいにした

こんな話をすると
「力で抑え込む教師も謝罪したわたしも
どっちもどっち」など言う人がいるだろう

波風立てないよう穏便に、狭い世界で生きるには
「どっちもどっち」は便利なワード

ジャッジを任された人は
どちらにも恨まれたくないから
村社会を円滑・円満に進めるためのウソに感じる

「人のせいにするな」「どっちもどっち」が
自分を悪者と認めたくない反発や
悪者である自分の存在を許したくないのも
大人がついたウソを否定したいがための自己防衛が
被害者意識の高い人を生んだ気がする

先天性の人格障害じゃなければ
元々は本当に悪いことをしてなかったのに
自分を信用してくれる大人や周囲が居なかった
悲劇の末ではないかと、分析している