記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

意志のあるところに道は開ける

今さらですが『ビリギャル』のお話。

映画化されたのは、もう7年も前の話。

遊んでばかりで勉強をしない女子高生。心配した母親が学習塾に通わせると、彼女の学力は小学校4年生レベルと判断される。しかし彼女は第一志望としてトップレベルの大学を宣言。塾講師の男性は巧みな指導で彼女のやる気を引き出し、徐々に本気にさせていく。
映画ビリギャルより

先日『小テスト』でビリギャルのお話を少し書いた。
ビリギャルのさやかちゃんのパパとさやかちゃんの弟さんの話の部分が、うちのダンナと息子と少しリンクするところがある。
よろしかったどうぞ。

この間、Netflixでも観たので、今回は全然旬じゃないけど『ビリギャル』について書きたいと思う。

ネタバレあるけど、7年も経ってるし、いいですよね⁉
これから観ようと思う方は、後ほど読んでください☺️

私は、このビリギャルの話を坪田先生が書いた本『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』を読み、映画も観た。
この本、実はダンナが買ってきた。
ダンナがこういう本を買うことは珍しい。
そして、必ず最後まで読まないということを私は知っている。
そのような本は、何冊か積まれたままになっている。
私の思惑通り、ダンナが最後まで読むことはなかった。
結局、私と娘がこの本を読んだ。
映画もブルーレイ・ディスクもあるが、ダンナは観ていない。
Netflixのやつも観ていない。
見てほしいと思うものは、見ないものだ。

見たところで、同じように感じるかは疑問だなと、今思った。
自分のやり方とさやかさんのパパが似ているとは思いもしないかもしれない。
自分の背中は自分では見えないものだ。
なんてこともチラッと考えた。


大人になったさやかさん本人が書いた
『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』
という本と、さやかさんのお母さんが書いた
『ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話』
という本も読んだ。

こちらは、映画化された時のもの。
さやかさんとあーちゃん(お母さん)の記事です。
古いですけど、良かったらどうぞ。

ここにも書かれているように、さやかさんのパパは、「厳しくしつけることこそ愛情」「俺の言うことさえ聞いていれば幸せにしてやる」という夫の子供に対する姿勢だった。

その辺の愛情表現が、うちのダンナと似ているように思う。

決して子どもが憎くて殴ったり厳しくしているわけではない。
子どもには間違って欲しくない。
転んで欲しくない。
だからこそ俺が正しい道を示してやろう!と思ってのことじゃないかと思う。

それがいいとか悪いとかではなく。

そういう愛情表現しか知らない。
それが正しいと思って疑わない。
そうすることで、自分の子がやる気になったり、幸せになったりすると信じている。
私はそう受け取っている。

部活中、水を飲んではいけない。
うさぎ飛びあり。
根性で乗り越えろ。
お前たちは悔しくないのか‼️
お前たちはゼロの人間なのか‼️
俺は今からお前たちを殴る‼️
愛は奇跡を信じる力よ〜
孤独が魂(こころ)閉じ込めても〜
1人きりじゃないよとあなた〜
の世代なのだ。
スクールウォーズが出ちゃいました…。

つまり、ザ・昭和の男なのだ。

そんなところがさやかさんのパパと似ている。
スクールウォーズに引っ張られて、伝わらないわぁ〜。

『家族のために頑張ってるのに、それをわかってもらえないことが、悲しかったんだと思う』と、さやかさんが言っているように、認めてもらえない辛さというものがうちのダンナにもあるのかもしれない。

本を読んでいても、映画を観ていても感じることは「私はあーちゃんにはなれない」という思い。

さやかさんのお母さん、あーちゃんの愛情表現は、凄い。
「子供を世界一幸せにする」「子供の絶対的な味方でいて、何でも話せる母でいられるようにする」
という信念があり、それを全うする。

さやかさんは赤ちゃんの頃、病気がちで、泣いてばかりで、あーちゃんは、なかなか寝かせてもらえず、疲れと不安で、くたくたになっていた。
さやかさんの面倒を見ることと、脱サラしたダンナさんがなかなか帰って来なくなったことなどで、1人で抱え込んでしまって、かなり辛い時期があった。

そんな時に、泣いてばかりいるさやかさんを怒鳴りつけてしまったことがあったという。
そんなことをしてしまったことで、自己嫌悪に陥り、あーちゃんも声を上げて泣いた。
そしたら、さやかさんが笑いかけてきたという。
その笑いかけてきたことによって、あーちゃんは「この子の笑顔が見られれば、私は幸せなんだ。この子をいつも笑っていられるようにしてあげよう」と決意する。

学校で問題を起こしても、派手な格好になっても、何度も何度も学校に呼び出されても、さやかさんを怒ることなく、否定することなく、話を聞いてあげて味方になってあげる。

いやいやいや、凄すぎる。
そう思ってもなかなか出来ないわ。
大抵の親は、世間の目を気にする。
ちゃんと子育てしないと、自分がダメ親、つまり赤点を取っているダメなやつと思われたくなくて、ちゃんとやって。こんなことしないで。恥ずかしいことしないで。私に恥をかかせないで。
そんな風に思ってしまうことが多いと思う。

あーちゃんは、自分の子どもだけを見てきた。
自分の子どもだけを信じてきたんだと思う。

どんなにダンナさんにバカにされようと、世間に冷たい目で見られようと、先生にキツイ言葉を言われようと。

あーちゃんは、子どもを全力で守った。

そんなこと、簡単には出来ない。

塾の勉強が本格的になり、本気で頑張っているさやかさんだったけど、友達との約束も守り、遊びにも行っていたため、寝る時間がなかった。
なので、授業中に寝ていた。
そのことでも学校から呼び出されているが「だったら、あの子はどこで寝たらいいんですか?試験の前に倒れてしまいます」と言って、無茶苦茶なお願いを学校にする。

凄すぎる。
あーちゃんは、世間の常識の枠にいない。
あーちゃんには、子を守る他は必要のないことという覚悟がある。

ただこれは、本を読んだから、映画を観たから、あーちゃんとさやかさんの凄さがわかって「愛情深いわぁ」とか「さやかさん頑張ってるわぁ」「学校の先生最悪だわぁ」と言える。

知らなければ、きっと私は「あそこのお母さんが甘やかしてるから、娘は非行に走って、髪の毛金髪なんだわ」とか「学校に居眠りを公認してくださいって、非常識なお願いをしに行ったんだってよ」なんてことを聞いたら「うわぁ、なんて母親だ。非常識過ぎる。ありえないわぁ」と言っていたと思う。

自分の子どものクラスにさやかさんがいて、そのお母さんのあーちゃんがいたら、よっぽど子ども同士が仲良くない限り、私は少し距離を置いたと思う。

私はそんなやつだ。
人は見かけで決めつけてはダメだとわかっているけど、よっぽど気が合いそうとか、面白母さんだとわからない限り、近づく勇気は私にはないだろう。

noteの世界でも内面を書いてくれているから、親近感が湧いたり、自分と考えが似ている、環境が似ている、共感できる…などなど思って寄り添うことが出来る。

もしこれがクラスにいるといたら…と考えると、私がフォローしている人たち、心を寄せている人たちと本当に仲良く出来るのかな?と考えたりする。

もしかしたら、見た目や上辺だけを見て、深い会話もすることなく、仲良くする機会さえ持たずに通り過ぎてしまう人がほとんどじゃないかと思う。
もしかしたら、ほんの少しのズレ感から仲良くなるどころかケンカをしてしまったり、嫌なやつだとお互いに思ってしまう相手もいるかもしれないと想像してしまう。
よくよく腹を割って話をしたら気が合うかもしれないのに。
河原で殴り合いのケンカをしてお互いボロボロになって、土手に2人寝転がりながら「お前、なかなかやるなぁ」「お前こそ」などと言って、熱い握手をすることなど、現実社会ではなかなかないのだから。

noteがあって、本当に良かったなと思う。
河原で殴り合わなくても『なかなかいいやつ』『なかなかやるやつ』がわかって、熱い握手(フォロー)を交わすことが出来るんだから。

おっと、話がズレてしまった…。


ビリギャルに話を戻そう。
あーちゃんの子どもに対する愛情は、真似できないほど凄い。
そそそ。
ここここ。
あーちゃんの凄さ。

あーちゃんからもらった『自己肯定感』があったから、さやかさんはたくさんのことを乗り越えていけたと思う。
自己肯定感は、それほどまでに強い。

彼女が慶応に合格出来たことを「地頭がいいんでしょ」「どうせ最初から頭がいいのよ」という人がいるらしい。

それは、違うと思う。
それは、想像する力が弱いと思う。
映画や本に書いてあることは、ほんの一部だ。
もっともっとさやかさんは頑張ったんだ。
彼女の並々ならぬ努力がめちゃくちゃあったんだ。
そして、さやかさんは、素直。
この素直って、強い。
スポンジのようにどんどん吸収する。
そこもさやかさんの凄さ。

そのさやかさんにめちゃくちゃやる気を引き出した塾講師の坪田先生。
彼の力は大きい。
乗せたり、背中を押したり、倒れたら起き上がらせてあげたりした坪田先生の力はこれまた、やはり凄い。

心理学を学び、それを活かすための努力を坪田先生は、寝る間も惜しんで勉強し、子どもたちのために最大限発揮した。

その子その子に合わせた教え方。
…というか、関わり方。
それがすごい。
アニメが好きな子、ゲームが好きな子、その子たちに話が合うように、そちらの勉強もしたという。
それは、話を合わせる=媚びるということではない。
その子にとってのわかりやすい会話で話をすることで、心に寄り添ってあげることが出来るから、子どもたちは心を開いて、坪田先生に身を委ねることが出来たんだと思う。

ものすごい先生だ。


思えば、この坪田先生との出会いも不思議なものだ。


あーちゃんが、坪田先生のいる塾にさやかさんを通わせようとしなかったら…。
体験をしに行った時にさやかさんがやってみると言わなかったら…。
こんな奇跡は起きなかった。

そもそもあーちゃんは、笑っていてくれたら勉強なんて出来なくてもいいと思っていたくらいなのに、なぜ、塾に通わせようとしたのか。
それもまだ無名の坪田先生のいる塾に。

たぶん、毎日友達と笑っているさやかさんを見て、それはそれでいいけど、その先の幸せの笑いをさやかさんに掴んで欲しいという漠然とした思いがあーちゃんにはあったんじゃないかと、私は思う。

友達といる時のさやかさんは笑っていて幸せそうだけど、きっとどこか無気力で、未来に希望も夢も持っていなかったんだと思う。
「私の人生、所詮こんなもんだよなぁ」みたいな。

そういったどこか不幸せそうな、どこか不安定なさやかさんを見て、何かしたいという思いになったんじゃないかなと思う。

それに加え、本来ならエスカレーター式で大学へ進めるはずが、何度も不正行為、不良行為をしていたさやかさんに、学校側から大学へは行かせられないと言われたことで、あーちゃんは、ならば塾へ通わせて、行きたい大学へ行かせたい、そんな風に思ったんだと思う。
それは、決して「いい学校に行けば、いい会社に入れて幸せになる」という安易な考え方ではなく、何か少しでもさやかさんに自信を持って欲しいと思ったからだと思う。
さやかさんが何かに一生懸命になって、頑張って、何かを自分で掴めたら、自信に繋がるんじゃないか、さらなる幸せがあるんじゃないか、という思いだと思う。
まさか、慶応に行くことになるとは、1ミリも思わずに。

坪田先生の「口に出すことが大切だよ」と言われて「さやかは慶応に行きます」と公言した素直なさやかさん。
最初は、言うだけでウケていたから面白がっていたけど、だんだんと、どんどん勉強していくうちに、本格的になると、今度はその道がどれほど大変なのか、どのくらい自分がまだまだ下の位置なのか分かりだしてから、これまた苦しい思いもされた。

ただ、こういった葛藤がある中で、努力を続け、周りの人たちをどんどん変えていく。

毎日のように遊びに誘っていた友達もカラオケ中にも勉強していたさやかさんや頑張っているさやかさんの様子を見て、自分たちもそろそろ本気を出して頑張らないと、という気になる。

何よりもパパが変わった。

塾へのお金も1円も出さない。
慶応なんて絶対受かるわけがないと言っていたパパが、名古屋大学の受験日、大雪が降り、どうやって会場まで行くか困っていた時に、車で送ってくれた。
さらに受かったらお金の心配はするなとまで言った。

人の努力というのは、人の心をも動かす。

人を変えたいと思って行動すると、絶対人は動かない。変わらない。
けれど、自分が変わると周りが変わるというのはこういうことかもしれないと思わされる。

昔、ロンドンハーツのドッキリで、青木さやかさんを騙す企画があった。

ヌード写真集を出すという、ドッキリの企画。

そのために青木さやかさんは、ダイエットも頑張った。
淳さんが変な指示を出しながらの撮影に、モニターを見ていた人たちもゲラゲラ笑いながら見ていた。

が、青木さやかさんの本気度が見えてきた頃、誰も笑わなくなっていった。
そこには、尊敬した目で青木さやかさんを見ているみなさんの表情があったのを覚えている。

その時にも、私は人の努力は、人の心を変えるんだと思った。

中途半端に、ただ写真集を出すという思いではなく、プロ意識を持って挑んでいる覚悟を持った青木さやかさんは、強かった。美しかった。

昔見たやつなので、ちゃんとは覚えていないけど、本当は「ドッキリでした。チャンチャン」で終わるはずだったと思う。
そのヌード写真集が本当に発売になったのは、彼女の本気度によるものだったと私は思っている。
最初から発売する予定だったら、ごめんなさい。
企画の趣旨まで変えた青木さやかさん。
凄いなぁと思った。

あ、同じさやかさんだ‼️

さやかさんは、覚悟を持って取り組む力があり、周りの人も変える力を持っているのかもしれませんね。

と、またまた話は脱線してしまいました…。

どんだけズレるのよ…😅

ちょっと、いやかなり長くなってしまいました。

最後に、タイトルの『意志のあるところに道は開ける』は、坪田先生からさやかさんへのメッセージ。
受験の時のサイン。

意志を持って行くことの大切さ。
こうする!と覚悟を決めたら、道は必ず開ける‼️
心強い言葉。

あーちゃんの、世間の目を気にせず、子を信じて突き進むところ。
常識なんて全く関係ない世界で生きているところ。
私もそんな風になりたいものだ。

最後までお読みいただきありがとうございます😊

幸せをありがとうございます❣️

この記事が参加している募集

読書感想文

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?