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ウィークエンド行者 歩くお調子者⛰山に想う🐉

週末、今年三回目の大峯山上参りであった。

行者さんは山でなにをしているのですか?

と聞かれることがある。

答えはその人その人でさまざまであろう。

場を浄めにとか、神仏に呼ばれてとか、苦しくて助けてもらいにとか、ただ祈りますとか、なにかをお願いにとか、誰かの代わりにとか、さまざまである。

私の場合は、目に見えないものに音の捧げものをしに行く。という答えが近いような気がする。

基本的に山である。

行きは登り、帰りは降り。

どちらもはあひいと呼吸が乱れる中、法螺貝を立てながら歩き、走り、する。

背中には画像のような鳴り物を背負っていくわたしだ。

なんでわざわざこのような重たいものを背負っていくのか。手ぶらで上がれば良いではないか。
身ひとつではダメなのか。

修行ですから。

あっ!少し違う。

わたしはただただ神仏に喜んでもらいたいのである。ひいはあ言いながら上がり、呼吸も整わないうちに随所で奉納する。

演奏としたらうまいわけでもない。

しかし全身全霊、苦しくてもその時できることを出る音を精一杯立てていくと、なんというか
アホやなあ〜きみい と神仏がニヤニヤしながら喜んでくださっているような気がしてくる。

ポカーンとしてなにも考えない。
ただただ音を立てる。

そうして立てられた音はその場所その場所の周りにある岩や木や苔や草や動物の気配と響きあい、共鳴し合う。

その場所のリヴァーブを纏う。

富士山なら富士山リヴァーブ。
飯縄なら飯縄リヴァーブだ。

響きあうと、不思議と天気やその場の雰囲気がカチリと変わる。

そんな瞬間が 音づれたときは至福である。

歩く調子笛と冷やかされるわたしは笛を打ち、歌を歌い、山念仏を唱え、ハワイアンチャントも上げながら歩いていく。

熊はなんだろうこの人…と思うだろうか。

誰かに見られたらどうかと思うほどげらげら笑いながら歩いていく。

炎のランナーのように…

大峯の天気予報は朝から雨。時に激しく。

だがずっと晴れている。

龍神さんは息を潜めている。

だが、大峯では天気予報は当てにならない。

その時その時の天気に応じて、そうなったらそうなったで、あるもので智慧で対応していくしかないのだ。

ゆっくりの回峯行だったが、最後の30分ほどどうしてもゆっくり歩けない時間があった。

予定的には余裕があるのだから、ゆっくり行けば良いのに急いでしまう。

帰りの川魚屋での直会が塩鮎寿司の売り切れが

頭をよぎったか?😀

すると、山上東南院に入った途端、なにも見えないほどの横殴りの雨と風

つまり、ずぶ濡れを免れた🙏

でも濡れてもよかった。

別に予感がしたわけではない。身体が勝手に行ってしまうのについていった結果…

五感と触覚も含めた感覚が大峯では研ぎ澄まされるのではないか。

皮膚や骨や頭蓋骨で聞こえない音や見えない景色を聴いたり見たり。

ああ。おもしろい。

やっぱり大峯は特別な山である。

南無三世一体金剛蔵王大権現⚡️👽


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