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日本人研究④外来語の溢れる日本語からわかる「外国崇拝」

一般に日本人は流行に極めて敏感であり、「流行感度」が高いし、メディアがそれを増幅して、世間並みという意識を作っている。

その流行も海外の権威からもたらされたものに弱く、どうしても、特にペリーの黒船来航、そして、明治以降、西欧崇拝の傾向は、いつまでもつきまとっている。

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たとえば、日本人の体格や身体、顔面に対する劣等感、ハーフや帰国子女に対する強い憧れ、西欧をことさら盲従したり、西欧に対して、自分の価値を低く評価したり、強く反発する態度は、西欧コンプレックス(劣等感)、西欧崇拝の傾向を残している証拠だろう。

直近でいえば、トランプ大統領の熱狂的な支持者が日本人に多かったこともそうである。

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しかし、「日本書記」によると、朝鮮半島や中国大陸からやって来た人々は「渡来人」と呼ばれ、その中でも日本に住み着いた人々は「帰化人」と呼ばれ、文化人として大変丁寧に扱われた。日本人が舶来物をやたらとありがたがる、というのは古代からの特徴だ、ということだ。

中世になっても朝鮮からの文化的影響は大変大きなものがあり、特に、儒教における日本への影響は絶対的であった。端的にいえば、みんな大好き、日本武士道の根幹を築いたのは、朝鮮人であった、ということだ。

2000年の長きにわたり、中国や朝鮮は日本の先生であった。それが明治以降、今度は西欧、敗戦後は、ペコペコしながら、敵国であったアメリカのケツをペろぺろ舐めるようになった。

明治時代のイギリス崇拝、戦後のアメリカ崇拝は、何も明治時代の特徴、戦後の特徴ではなく、日本人の生来の性、ということだ。




西欧人が日本の社会についていつも問題にするのは、日本人の外国崇拝がとくに言語表現で目立っていることである。西欧人に言わせると、日本語を習うのに本来の日本語そのものが難しいだけではなく、外来語と外国語をもじって、さらに洗練させた日本風の新しいことばを習得することがいっそう難しい。


これほど外来語を生活になんの違和感も、対立もなく、共存させているのは日本だけだ。

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和製英語もそうだけれど、たとえば「パソコン」「ナウい」はもとより、昨今の若者ことばの「チルい」「エモい」「ーニダ」など。日常生活のなかで特に日本式に発音される外国語が山のようにある。さらにホテル、レストラン、西洋料理、ファッション、様々なサービスの名前にも意味のわからない外国語も使われている場合がたくさんある。

かつての日本人の教養は、文字の上でいうと、漢字をよく知っていることであったが、それが西欧語で言えば、英語を知っていること、英語を話せることが権威の象徴にもなる。

同様のことは、新しい雑誌の名前にも反映してしている。そこでも一般読者に馴染みのない外国語タイトルが並び、また欧米では有名な雑誌の日本版がそのままタイトルで刊行されている。


このようにいろいろな面で、日本の文化は「侵略」されているわけであるけれども、日本人はそれをうまく隠して、「進駐軍」と言うことに成功した。「侵略」というと、いじめられている、苦しめられている、ネガティブな意味合いが強いけれど、「進駐」、つまり、我々は、進み、とどまっている。右行ったり、左行ったり、またどこかに行くのだな、あくまで荒んでいるんだというポジティブな印象を皆に与える。


こうして日本人の外国崇拝という権威主義の傾向とモノマネ志向、定型化の傾向が重なって、外国語の表現が至るところで溢れている。

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