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【現代文】若くして つまらぬ大人? 今よりも

 「この作品のあらすじを書きなさい」・・・この宿題、所定用紙の1行でも余らせたら、それだけで減点となる。なお、用紙は追加できないので、行をオーバーすることは無い。決められた文字数で人へ分かりやすく物事を伝達する能力を徹底的に鍛え上げる。大人になった今、与えられた時間ピッタリに何かの発表や挨拶をするタイプの仕事を命じられても、さほど苦痛に感じないのは、実はこの鬼教師のお蔭かもしれない。
 私の通っていた高校は、現代文の授業がとにかく厳しかった。月に1冊、年間12冊の課題図書を読ませる。小説が中心だが、たまに他のジャンルも入る。外国文学も3冊くらい入る。そして必ず期限内に読書感想文を提出させる。読書が好きな生徒だったら、月に1冊なんて楽勝だろう。作文が好きな生徒だったら、月に1作なんて楽勝だろう。でも、文学青年でも何でもない普通の高校生だった私には、これが結構な苦行だったのだ。
 「絵を描くことが好きな主人公は、海の絵の藍色と洋紅色がどうしても上手く出せず、同じ山の手の学校に通う友人ジムの持つ、舶来の上等の西洋絵の具がたまらなく欲しくなる。ある秋の日、誰もいない教室で一人、ジムの卓の方を見ているうちに、主人公はあまりの欲しさにまるで何かに誘われたように、その小さな墨のような二色を盗ってしまう。ところが主人公は数人の子供達に責められ、昼休みにそのことがばれてしまう。泣き出す主人公は、無理やり先生の部屋へ連れられるが、先生は反省する彼を𠮟りつけたりせず、『明日は学校に来るように』と優しく声をかけられ、一房の葡萄を下さった。翌朝、仲直りしようと手を握るジムに連れられて先生の所へ。憧れの先生は、良い友人同士となった二人を喜び、また葡萄を下さるのであった。」・・・これで338文字。普通のスピードで喋れば、丁度1分といった長さである。
 
 「いいか、諸君。他人の書いた本は捨てたとしても、必要になったら再び買える。けどな、自分で書いたその宿題くらいは取って置けよ。『初心忘るべからず』と謂うが、初心は所詮忘れてしまうものなんだ。ちなみに世阿弥の云う『初心』とは初心者という意味だ。諸君は中学を出たばかりの初心者。これから鍛え上げるのは読解力と文章力だけでない。読んだ作品を自分の経験や知識に変える思考力だ。ところがだ。卒業して何年、何十年と経過するとな、自分が高校生の頃にどんなことを思考していたのかなんて忘れちまっている。そこで、初心を思い出す手段が、採点を終えて諸君の手元へ返却したその宿題だ。それをただの紙切れにするのか、何かの節目に人生を振り返る教科書にするのか、本当に大事なのは点数よりも卒業後のその宿題の取扱いのほうだぞ。
 そこで、この宿題の優れた点を1つ教えてやろう。卒業して何年、何十年と経過して、引っ越しか何かをきっかけに、タンスの奥からこの紙が出てきたとする。タイトルに、<有島武郎『一房の葡萄』を読んで>と書かれていても、残念なことに諸君は『一房の葡萄』がどのような粗筋だったのかをそもそも忘れてしまっている。過去の自分の文章だけを目にしても、それが一体どんな内容の書物を読んだ結果の感想なのか、分からないから気持ち悪い。そりゃ、読み直したり、調べたりすれば分かることだが、これはこれで面倒くさいだろ?そこでだ。自分で纏めた粗筋がセットになっていることの有難みを実感するというわけだな。将来の諸君が自ら書いた粗筋を読み直して、しっかり理解できたとすれば、それは現在高校1年生の諸君の文章力、もしくは大人になった後の諸君の読解力、そのどちらか或いは両方が及第点に達していることを意味する。」・・・卒業して17年、その間、父は他界し、それなりに大手企業のサラリーマンとなった私は、東京と京都の両方にマンションを購入していた。兄弟も親戚も居ない中、母に死ぬまで東京で独り暮らしをさせるわけにいかず、私の勤務先である京都で同居することを決断した。荷物の整理をしていると、タンスの奥からこの紙が出てきた。そこから先は全てが先生の仰せの通りだった。
 
 「一方、感想文のほうは何を示す指標になるのか?こちらの答えは簡単だ。将来の諸君が自ら書いた感想文を読み直した時に、『こんなにも未熟なことを思考していたのか』という感想を抱いたとすれば、それは諸君が成長した証と言える。逆に『高校1年生だった頃のほうが、今よりも成熟したことを思考しているな』という感想を抱く場合だって十分に想定される。それは諸君の思考力が退化したか、つまらない大人になったか、そのどちらか或いは両方の証と言える。」・・・さて、これもまた先生の仰せの通りか否か、私は恐る恐る過去の自らの感想文を確認することとする。
 「この作品の取り上げる最大のテーマは『盗み』についてだと思います。まだ幼い主人公にとって、社会で生活していく上でのルールを十分に受け入れることができないのは当然です。私もイタズラをしたとき、小学校の先生によく『悪いことだと知っていながら、なぜやったんだ』と言われましたが、戸惑うだけでした。この主人公も、はじめのうちは『自分の絵の具には鮮やかな二色が欠けている。自分よりでかいくせに、絵がずっと下手なジムがあんな上等なのを持っている。うらやましいなあ。』くらいにしか思っていなかったのだろうけれど、作品からも読み取れるように『言いたいことも言わずにすますようなたち』なので、自分の心の中だけでどんどん考え込んでしまい、そんな抑えきれない気持ちにふと我を忘れて、あの行為に出てしまったのだと思います。けれど、絵の具をポケットにおしこんだ瞬間、彼は罪の意識をしはじめ、余計に胸を苦しめることになってしまったのでしょう。
 翌朝の二人には、ものすごく心を打たれました。自分からすすんで仲直りをしたジム。自分の行為を反省し、大好きな先生との約束通り、しっかり学校に来た主人公。二人とも本当に立派だと思います。この二人の友情はいつまでもこわれてほしくないと思います。」・・・19年ぶりにこれを読んだ私は、思考力が退化したわけでもなく、つまらない大人になったわけでもなく、率直に「高校1年生だった頃のほうが、今よりも『つまらない大人』だったな」と感じた。嘘こそ吐(つ)いてはいないものの、かといって心情の奥深い部分を吐き出してもいない。成功でなくてもいいから、とにかく失敗しないように体裁を整えた「提出する目的だけの感想文」といった印象だ。面積はあるが、容積は無い。期待していた藍色も洋紅色も無く、やや意地悪に解釈すれば「海の絵なので、とりあえず青く塗ってみました」という様相さえ露呈している。私って、こんなにつまらない高校生だったのか。
 所定用紙には「読書の記録」という欄が設けられていて、「読みはじめ」が「平成4年4月27日」、「読みおわり」が「平成4年4月28日」、「延べ時間」が「1時間」と記されている。確かに短い童話だったことを思い出す。裏を返せば、高校に入学したばかりの男子生徒が、短い童話を材料に、相応に可もなく不可もない感想文を仕上げたのだから、初回にしては及第点ではなかろうか。
 そう、これが初回なのだ。こんなのは手始めだったのだ。この宿題が年間12回、3年間続いたはず。しかも、2年生からはハードルが上がったという記憶が甦ってきた。原稿用紙の正しい使い方をきちんと習った上で、本格的に枚数無制限の感想文を提出するようになったのだ。そして、もともと「感想文に点数評価はそぐわない」という先生の教育方針により、2年生以降は、宿題だけを単独採点するのではなく、表現力や自己分析力に富んだ感想文があれば、総合成績の加点要素とするという方式が用いられたのだった。
 
 私の読書感想文は、1年生から2年生へ、2年生から3年生へ、どんなふうに変貌していったのだろう。まずは、1年生時の第2回提出宿題の中身が気になった。それだけ読んだら、部屋の片づけを再開しよう・・・つづく

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