見出し画像

【古典】妖艶で 知的な師匠 月の影

 就職も決まり、大学の卒業を機にバイトを辞めてからというもの、我が学生時代の師匠と仰ぐ美春さんにもすっかり会わなくなってしまった。私のどんな悩み事も一刀両断。背も低いし、美人というわけでもないのだけど、「オトナの色気を濃縮すると、きっとこういう女性に辿り着くのだろうな」という雰囲気を放つ姐さんだった。クラシック音楽の世界観から、能や狂言やSMプレイの魅力、男女の在り方、テスト勉強の方法に至るまで、彼女はセックス以外のありとあらゆる“人生”を私に教えてくれた。
 そんな妖艶で知的で開放的な私の師匠が自ら命を絶ったことを知ったのは、店長――そう、当時、美春さんと付き合っていたバイト先の店長――からの電話だった。私も京都へ転勤後、職場で中堅社員の部類に属しつつある頃だった。美春さんが私より幾つ年上だったのかは分からず終いだったが、きっと50代前半には差し掛かっていたのではなかろうか。これといった遺書も無く、自殺の原因は不明だったけど、むろん究明したくもなかった。店長によると、父君はもう他界され、母君が田舎の里山で一人暮らしをなさっているそうだ。美春さんのアパートでは警察の検視が行われ、犯罪性のないことや、誰かと同居していた様子もないことが確認されると、医師により死体検案書が作成され、駆け付けた母君がご遺体を引き取られた。私はあまりの哀惜と衝撃のせいか、自分でも驚くほど冷静で、左手に携帯電話を握りながら、右手で数珠や黒いネクタイを用意し始めていたが、すでに近親者のみで葬儀その他諸々は済んだと聞き、再び電話に集中した。近親者と云っても、兄弟姉妹も無く、事実上、母君以外には頼りになる身内を持たない状況で、美春さんも私と似た境遇だったようだ。晩年の母を京都に呼び寄せて同居し、暫くは古都の風情などを愉しみ、病に伏せると最期まで自宅で介護した私と較べすれば、愛娘に先立たれた母君の絶望感たるや、想像しようにも計り知れない。
 問題は荼毘に付した後のことだった。大家さんが部屋の原状回復を求めているのだ。ただでさえ悲しみに暮れているところを、このまま年老いた母君に長々と東京で事後処理をさせるわけにもいかないだろうという店長の英断により、母君には里山へお帰り頂き、片付けと掃除は店長が引き受けたとのこと。母君は、家賃の残金を大家さんへ支払い、店長に深々と頭を下げて寸志を渡し、遺品の中から思い出深い物を選んで里山へ持ち帰られたそうだ。「そこでだ。オマエ、今度の土日、東京に来いよ。片付けといっても服と食器くらいなもんで、業者を呼ぶほどでもねえんだ。けどよ、あのピアノだけはさすがにオレ一人じゃ運べねえし。いや、新幹線代も出すし、メシくらいご馳走するよ。」全てを喋り終えないうちに、私は店長の言葉を遮って、「交通費も食事も要らないから、ぜひ手伝わせて下さい」と、泣きながら申し出た。
 
 「店長、失礼かもしれませんけど、こんなアパートでよくピアノ弾けましたねえ」「いや、こう見えて防音壁らしい。お隣さんもどっかの楽団のヴァイオリニストとか言ってたわ。」首に巻いたタオルで汗を拭い、まず大物をやっつけようとするのだが、「うわ~、懐かしいっすねえ。これ『大入袋』じゃないですか!」――ベッドの下から大量の楽譜と共に小さい道具箱が出てくる。中に収められていた種々雑多な書類や写真、それらの間に、鮮やかな紅地に勘亭流の白字で「大入」と書かれたポチ袋が紛れていたのだ。ずっと箱に眠らせていたせいか、さっき文具屋さんで仕入れてきたのではないかと思うほど、今も紅白が色褪せていない。バイト先の店では、売上が良いと、その日のメンバーにはバイトも含めて全員へ大入りが配られるのであった。中身は500円だったように追想する。5時間のシフトだとして、時給が100円も上がる計算だから、頗る気前の良い店長だった。往々にしてある事だが、こんな調子で遺品整理は捗らない。だが、本当に仕事の手が止まってしまったのは、彼女がバイト先では決して出さなかった裏の表情を垣間見た瞬間のことだった。
 「市からのお知らせです。すぐに開封してご覧ください。」と記された料金別納郵便の窓あき封筒には、「この線で開封してください」と示されたミシン目とは逆から乱暴にハサミが入っていた。それは何と、延滞金を加えて合計225,700円にもなる「納税警告書」だった。「すでに督促状等により市税の納付依頼をしておりますが、表記のとおり未納となっております。このまま滞納が続きますと延滞金がかさむばかりでなく、地方税法に基き財産の差押処分に着手することにもなります。納付指定期限までに必ず納めてください。なお、本状と行き違いで納付・納入された場合はご容赦ください。」・・・警告書の紙を広げると、ご丁寧に郵便振替の用紙が折り畳まれ、ここにもミシン目が入っていた。
 箱からはこの手の書類が他にも幾つか出てきた。「ガス料金口座引き落とし不能通知」とか「貸室賃貸借契約違反是正通知」とかいった類もあれば、職安で入手した「求職受付票」やら「失業認定申告書の記入のしかた」といった類もある。保健所の「健康相談券」なるものまであった。当然ながら、私と一緒に働いていた当時の彼女からは、生活苦の臭いなど微塵も感じなかった。ピアニストを目指す日々に一体何があったというのか。
 「このことはお母様には黙っておこう」と店長が呟き、私は同意した。
 
 この小さな箱から次に出てきたのは手紙であり、これが一層仕事の手を止めるものだった。
 「報告があります。きのう夕方、モーツァルトを聴きながら、貴方から頂いた梨を剥きました。そうしたら、手元の梨がまるでタマネギにでも変身してしまったかのように、涙が止まらなくなりました。この時間、貴方も奥様とこの梨を召し上がっているのかと。でも、その前に頂いたシュークリームの時には泣かなかったことを思い出し、直後には笑いに襲われました。人生で一番大変で真剣な問題を抱えているときに、台所の前で泣いたり笑ったり、私って何が不満でこんなことをしているのだろうと、うつ病を疑って心療内科にも行きましたが、今にして思えば、そんな不安定な私をあの夏にお祭りに誘ってくれてありがとう。貴方にとっては、1週間も二人のお子さんを家に置いた挙句、最終日には朝帰りという大冒険だったわけだけど、それもこれも結局、奥様がお子さんと一緒に寝てくれるという前提があればこそ出来た冒険です。たぶん奥様はいつも貴方のそばに居てくれる。その奥様が居るから、私は一人だけど、いつも独りだけど、貴方との生活を楽しんでいる。私はそういう幸せを自ら捨てなければならないのです。
 先週、お店に来てくれた時、貴方は言っていましたね。お風呂に入ろうとしたら、洗濯物が干してあったことを。子供たちの靴下とか細かいものと一緒に、お祭りで汚してしまった私のジーンズまで干してあったことを。夫がすごくひどいことを自分に行っているとうすうす知りながら、会社の部下とか何とか言ってごまかされている愛人のジーンズまで一緒に洗うことができる?私が逆の立場なら絶対にできないよ。貴方の顔面に投げつけるだろうね。いい女なんですね。もう私はごめんなさいと言うしかありません。
 でも、ちょっといろんな人を巻きこみすぎて迷惑や心配をかけたけど、あのお祭りだけは忘れない。お金も思いっきり使ったけど、気持ちよく使えた。私、こう見えても、ああいう使い方は今まで1回もしたことがなかったの。初めて1万円札が千円札くらいの感覚で出ていくわけ。でも、お金はまた作れるけど、貴方には二度と会うことができません。
 ようやく私は貴方を愛する前に自分をまず愛するべきだと気づきました。だいたい自分を愛していなければ、あんなに皆が寝ている夜中に働き続けられないよ。けど、この仕事ももう引退かな。貧乏になってもピアノだけは手放さないというポリシーを大切に、元の生活へ戻ります。
 ずらずらと書いてしまいました。好きな気持ちはずっと変わらないと思いますが、にわか雨で洗濯物を」・・・文章はここで切れていた。何度も書き直したのか、これに似た文章が他に2つ、それぞれ色柄の異なる便箋から見つかった。同じ手紙を三度もしたためかけて、送るのを躊躇ったじれったい心模様が目に浮かぶ。
 だが、結局この手紙に書いた思いは不倫相手へ直接伝えたものと推察される。別の書きかけの便箋には、許されない二人の関係の後日譚が綴られていた。「私は元気です。もう怒っていません。平常心でいます。私にとって貴方とお別れしたことが良かったのか悪かったのか分かりませんが、少なくとも貴方は良かったはず。きっと今頃ほっとされていることでしょう。要するに、貴方の私への愛情は、私の貴方への愛情と比べたら、少なかったということだと思います。遊び心で始めたはずの付き合いが、意外にも相手が本気で正面から貴方に向かってきたので、戸惑い→楽しさ→うっとうしさへと変化していったのでしょう。
 ひと言だけ言わせてください。今度女の子に声をかける時は、よく考えて相手をよく見てからにしましょうね。心療内科では睡眠不足を指摘されましたが、私はうつ病ではありませんでした。これからやりたい事がたくさんあります。こんなことでめそめそしてはいられないのです。女である前に、一人の人間として、これからも生きていきたい。男の人を頼りにして生きていきたくはありません。でも、苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!貴方に出会う前の私より、ベートーヴェンの弾き方が進歩したのは間違いなくって、いろいろ感謝もしていますよ。お体に気をつけて。さよなら。美春
 追伸 下北沢ですっぽかされた時、貴方の愛情を失ったことに私のほうが気付くべきでした。それでも最後に立派なブーケと当面の生活費をありがとうございました。」・・・どうやら相手は金持ちというのみならず、それなりに身分の高い男だった様子も窺える。あれほどタフで知性に富んだ麗人が、ピアノと生活を両立させるため、安易にパトロン代わりのオトコに心身を売ったとは信じがたい。彼女がタフだったのは繊細さの裏返しだったのか。知性は繊細さを隠す武器だったのか。――蓋し、二人の間にお金が介在していたとしても、否、互いを結ぶ分かりやすい幸せの絆としてお金が介在していたからこそ、そこには趣溢れる愛情が芽生えていたと捉えるべきだろう。春奈と私の関係も、それが不倫ではないというだけのことで、根っこの部分では極めて似ている気がした。まあ、これ以上、他人の秘め事を詮索するのは野暮ってもんだ。
 「このことはお母様には黙っておこう」と店長が呟き、私は同意した。さらに「このことはオレも知りたくなかった」と店長が付け加えると、二人の“清掃係”はまだ彼女の残り香が漂っているシーツの端へ鼻先を押し付け、気の済むまで揃って嗚咽した。――何分くらいが経過しただろうか、“黙祷”を終えた我々がふと顔を上げると、男二人の涙によって薄っぺらのアンケート用紙がシーツに貼り付いていた。「都内のハローワークについて、ご意見ご要望がありましたら、お聞かせください」との問いに対し、「近所にもう1ヶ所ほしいです」と、手紙と同じ筆跡が躍っているのを発見し、私たちは吹き出した。そして「相変わらずワガママな女だな。強欲に生きて、もっとオレにもワガママを吐いてくれたら、どうにか救ってやったのに…」と店長が呟くと、気の済むまで嗚咽したはずの二人は再び嗚咽することとなった。
 
 「どうだ、東京で食べる神戸ビーフの味は。松坂牛も、佐賀牛も、全国の牛が東京に集まるぞ。人間と一緒だ。美春も東京で音楽の道を志した。ってか、オマエは珍しい逆のパターンだな。東京出身の代表として京都で頑張れよ!」・・・店長は宣言通りステーキをご馳走してくれた。新宿で食事をすること自体、実に久々だった。二人はそのまま新宿駅で別れ、店長は総武線で本八幡のお住まいへ帰り、私は山手線で品川駅へ向かい新幹線に乗った。別れ際、「美春さんの墓参りへ行って、お母様にも挨拶したい」と私が店長に告げると、「オレは遠慮するよ。余計なことを口走ってしまいそうだし。オマエは好きにすればいいさ。」という返答だった。
 
 迎えた新盆、私は母君と連絡をとり、お一人でお暮らしの里山を訪ねることとした。その道すがら思い浮かんだのが、不思議にもあの退屈で堪らなかった高校の「古典」の授業だった。時代も立場も状況も、両者にはかなりの“差”があれど、その情景は源氏物語に近いところがあったのだ。
 「このような月の美しい折には、月を見ながら管絃の遊びなどを催しあそばされた際に、亡き更衣は他の人と違って妙なる音色を奏でたり――ハイ、物の音(ね)の『物』とは楽器のこと、『音』とは単に物音ではなく、人の心に訴えるような音色のことである――また何気なくお詠み申し上げる和歌も他の人より異なっていて素晴らしかった――ハイ、原文の『言の葉』というのが和歌の意である。――その亡き更衣のご様子やご容貌が面影となって、今でもずっと在りし日の姿が思い浮かぶけれど、やはり現実の闇の姿には劣ってしまう。――ハイ、これは『うばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざるけり』という古歌を典拠にして描かれた世界である。」・・・この先生の授業は1年中この調子で、私は睡魔との戦いを強いられていた。美春さんのピアノ演奏を拝聴する機会には一度も恵まれなかったけれど、さぞかしそれは他の人と違って妙なる音色だったことだろう。いくらその姿を夢に見たとて、彼女を現実の世界へ引き戻せるわけではない。
 
 さしずめ私は亡き更衣の母君のもとへ遣わされた靫負命婦のような役割だろうか。帝の使者とは程遠い存在だが、店長の思いまで私が代理として美春さんの母君へお伝えし、墓前に線香を捧げたい。そんな心境で先生によるオリジナル現代語訳を振り返ると、この日本最古の長編小説の間怠っこしい心理描写がじわじわと私の脳内を侵略する・・・。
 
 命婦が更衣の里にお着きになって、邸内に牛車を引き入れるや否や、何ともいえない物悲しい情況である。更衣の母君は夫に死なれて一人暮らしであるけれども、一人娘を大切にご養育なされていたので、娘の生前は天皇の妃の里として恥ずかしくないよう、あれやこれやと手入れをなされて、見苦しくないように過ごしなされていたのが、娘に死なれた今は、心が真っ暗になって、悲しみに沈みなさっているうちに、いつの間にか草も高く生い茂り、野分の風に吹かれて、いっそう荒れた感じがして、誰ひとり訪ねる者とて無いが、月の光だけは幾重にも生い茂っている雑草にも妨げられず、邸内に差し込んでいる。
 母君は命婦を寝殿の南側に車から降ろしたが、(こんな草深い所に天皇の使者が来てくださったので、)命婦はもとより母君も急には物をおっしゃることができない。「今までこのように生きながらえておりますことが大変つらいのに、このようにおそれ多い帝の使者が、生い茂る蓬の露をかき分けてお訪ねなさるのは、大変恥ずかしくございます。」と言って、なるほどその言葉の如く、恥ずかしさに堪えることができそうもなく、泣きなされた。「『この里に参ってみると、宮中で想像していた以上にお気の毒で、身も心も尽きるようでございます。』と、かつて典侍が申し上げなされていましたが、物の心を知り申さない私の気持ちにも、なるほど典侍の言葉の如く、悲しみに堪えがたくございます。」と言って、しばらく時を置いて気持ちを落ち着けて、帝のお言葉を伝え申し上げた。
 
 ・・・季節こそ違えど、私が美春さんの墓参りに里山の母君を訪ねた折の情景が、心做しか桐壺のワンシーンにリンクする。まず源氏物語の世界観に入り込むには、この「情景のリンク」くらいで丁度良い塩梅なのではなかろうか。おそらくこの小説は「雰囲気」を味わうものなのである。ここで「南面(みなみおもて)とは、すなわち寝殿の正面を指し、普通の客は車宿に入れるところだが、帝の使者ゆえに破格の待遇をしていることを意味する」だの「典侍(ないしのすけ)とは、内侍所の四名の次官で、帝の傍に常侍し、奏請、伝宣、陪膳などを務める」だの「おぼさるるとは、思うの尊敬表現で、命婦が帝の言葉をお伝えする意である」だの、そういった解説がいちいち加わってしまうと――それこそが「古典」を学ぶという作業であることは百も承知なのだが――この余計な注釈がハナから初心者を“食わず嫌い”にさせてしまう観はある。
 いや、もう一歩踏み込むと、「注釈が皮肉にも源氏物語の魅力を損ねてしまう」と云う捉え方だけでは片手落ちだ。源氏物語とは、総じて端的に言い切ってしまうと、当時高校生だった私の解釈のとおり「色男のセックス体験記」といった骨格を有することは的中であり、私は元来そういった筋書きそのものに関心の向かない人間だからである。当初は男女の色事を取り扱った文学自体が高校生の私の理解には及ばない領域なのではないかと疑ったが、一方で「百人一首」の織り成す三十一文字の小宇宙には殊更夢中になれたわけだから、結句「高貴な女狂いの人生遍歴」に感情移入できないというだけのことだった。寧ろ注釈の多さは私の“源氏物語嫌い”の“触媒”だったに過ぎない。
 「竹取物語」でも「土佐日記」でも、あるいは光源氏の物語への憧れを場面設定にした「更級日記」でもよかったはずなのに、あれ程までに先生が源氏物語に拘った理由は、美春さんの自殺の理由と同じくらい、今でもさっぱり判らず、謎に包まれたままである。
 
 そっと私は墓前に絵を献じた。美春さんと働いていた渋谷の街にまだ実家があった頃、いつだかの正月帰省の折、想像と色鉛筆だけで描いたアップライトピアノ。都立高校を中退してしまった冴えない女の子からブティックの社長へと転身していた幼馴染に「小学校の6年間ずっと、足元にも及ばない相手だったアナタには絵をどうしても続けて欲しいの」と触発されて、気儘に、しかし真剣に描いたあの絵である。「ねえ、100万円あったら、アナタ何が欲しい?貯金とかローンの返済なんてダメよ。あぶく銭なんだもの。手元に自由に使える100万円、さあ、何を買う?」と、いつもの休憩室で美春さんに訊かれ、高校生だった私は即答できなかったけれど、今の私なら美春さんにピアノをプレゼントするだろう。そのほうがずっと値打ちがあることは言うまでもない。そんなことを考えながら描いたあの絵が、墓前で風に揺れている。いや、紙がカタカタと揺れているのは、きっと彼女が鍵盤蓋を開けたからだ。「何よ、これ、こんなに鳴りの悪いピアノ、触ったこともないわ」「あちゃ~」「さあ、この私の贅沢な伴奏で歌ってみなさいよ、何か一曲」・・・しばし彼女と私は会話をしていた。
 私には自ら命を絶つ度胸など到底ない。人間というのは、どんな病に苦しんでも、「だったら死を選択しますか?」という医師からの質問を拒絶してしまう本性を備えた生き物だ。そう教えてくれたのは大学の刑法の教授だったが、私自身は三十歳にして大腸癌を患って以来、むろん痛みに悶えるような病では無かったものの、それでも何となく死生観が変わった気がする・・・つづく

この記事が参加している募集

古典がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?