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【化学】【数学】風吹けば 桶屋儲かる 会社員(その1)

 「こんなにもお天気の日に、こんなにもつまらない事を一体どうしてやらなければならないのか?」と問いながら、苦手科目に集中しようとしても、脳も手足もついていかない。そりゃ答えは分かっている。つまらなくても、やらなければ、卒業できないし、進学できないし、就職できない。そうなると、給料が貰えないし、生活に困るからだ。「高校生は勉強が仕事」とは全く言い得て妙なものである。勿論、卒業しなくても、就職しなくても、給料を貰わなくても、何らかの形で飯は食えるのだろうけど、私にはそこまで逞しい人生を送る程の度胸も才覚も無い。そのあたりまで答えはハッキリしているのだから、今は黙ってここで試験管と格闘する道を選ぶ。とりあえず本日のところは、あと30分余り我慢していれば済むのだ。明日の事は明日に考えよう。
 
 「炭酸水素ナトリウムNaHCO₃の熱分解により、反応物と生成物の量的関係を調べる。これが目的。扱う薬品はたった2種類。量って、熱して、また量る、それだけ。まず、こういう初歩中の初歩から手際よく捌けるようになりなさい。では、準備する器具を指差喚呼!試験管2本、ビーカー100ml、電子ばかり、スタンド、ガスバーナー、ゴム栓付き曲管、薬さじ、薬包紙、試験管ばさみ、以上!」――超難解で複雑な化学式を次々と猛スピードで叩き込むドSっぷりから、あだ名が「女王様」だった先生。彼女がその号令を理科室に響かせつつ、上下式黒板の前で上下に動かすのは伸縮自在の指示棒だが、それが恰も奴隷に振り下ろす鞭であるかのように見える。まさに「教鞭」だ。
 「操作に入るわよ。電子ばかりを用意しなさい。①ビーカー+試験管Aの質量を測定したら、ハイ、メモ!」――配付された「観察プリント」へ即座に私は「185.16g」と記す。「②その試験管AにNaHCO₃を約2g入れて、再び質量を測定したら、ハイ、メモ!」――187.26g、確かに2.10g増えている。「③試験管Aの管口にゴム栓付き曲管を装着し、その管口を少し下げた状態にしてスタンドで固定する。下げる理由は、熱すると管口に水滴が付くから、これが加熱中のNaHCO₃へ流れ込むことによる試験管の破裂を防ぐためなの。曲管のほうの先は飽和水酸化カルシウム水溶液Ca(OH)₂を5ml入れたもう1つの試験管Bに挿しなさい。そう、プリントに示した図のように、そう。④ガスバーナーに火を点けて試験管Aに近づける。青から青緑色で円錐状の内炎と、それを包む青紫色の外炎から成る炎が最適の状態。これは空気が十分に供給されていて、高温になっていることを意味するわけね。」――私の向学心だけが相変わらず不完全燃焼だ。「NaHCO₃は分解しやすいから特に強熱する必要はないけれど、暫く加熱は続けるのよ。途中で気体の発生が終わったら試験管Bは外しなさい。試験管Bのほうの液に変化があったら、ハイ、メモ!」――白濁している。これだけで化学実験に挑んでいるという実感が沸き立ってきて、異様に焦る。理系の得意な生徒であれば、これが「面白い」のかもしれないけど、私には焦りでしかない。「では、⑤一旦バーナーを遠ざけて。Aのゴム管を外したら、今度は管口近くに付着した水滴をバーナーで加熱して蒸発させなさい。素手でやらない!試験管ばさみを使うのよ!図を見なさい、図を!そう、水滴の逆流に注意して、試験管は真横に保つの。」――すでに素人はここまでの工程だけで緊張感に覆われ、まるで自分が加熱されているかの如く大汗を流す。「⑥Aを冷却したら、再び電子ばかりで、ビーカー+試験管Aの質量を測定!ハイ、メモ!」――186.50g、即ち炭酸水素ナトリウムの質量が2.10gから1.34gへ減っている。
 「実験は以上。こんな小さな装置でも、理論を検証することが大切なの。では、どんな事が起きていたのか。1つずつ確認するわよ。NaHCO₃を加熱すると、Na₂CO₃とCO₂とH₂Oが生じる。Ca(OH)₂水溶液が白濁するのは、加熱によって発生したCO₂と反応した証拠。このときの変化を化学式で書くのは簡単ね。」という説明を止めることなく、女王様が黒板へ「2 NaHCO₃→Na₂CO₃+CO₂+H₂O」と走り書きする。「実際にNaHCO₃とNa₂CO₃のモル比を求めたら、化学反応式の係数にニアリーイコールとなるわよ。ハイ!すぐに電卓で弾いてみなさい!2.10/84:1.34/106=0.0250:0.0126=2.3:1.0≒2:1ってことね。」――この式を応用すれば、私が試験管へ入れた2.10gのNaHCO₃からは理論上1.325gのNa₂CO₃が生成されることになり、これに対して1.34g(理論値に対して101.03%)の質量を得たわけだから、ほぼ実験は成功ということだ。成功したのに達成感よりも疲労感が上回っているのは、私が結局この手のテーマに関心を抱けない、つまりは「つまらない」からだとしか言いようが無い。
 
 つまらないとは云っても、今後の私の人生にとって必要性を見出せないというだけのことで、半強制的であるにせよ化学を学ぶ事そのものを無駄とは捉えていない。少なくとも「世の中は、イロハのイから、初歩中の初歩から、君を挫折に追い込む学問に満ち溢れ、君が理解不能な幾つもの分野が、君を取り巻く社会生活に役立てられているのだ」と突き付けられる経験を得ることは、私の人生において肝要だと感覚的に受け止めていた。
 それに「きっと私は化学たるものの輪郭にも触れられていないレベルの生徒だ」という“絶望的な”勘定と平衡するように、「つまらないか否かなどとは無関係に、私はこの授業に耐えなくてはならない」という“有望的な”勘定も同時に出来たのは、やはり単純に“志”があったからだ。“志”と謂っても、私の高校・大学時代はとっくに不景気。労働市場が人手不足に転じるまでの谷底の時期で、名の売れた企業でも新卒採用どころかリストラ執行の只中にあった。だが、もとい、それ故に、就職氷河期の不運を嘆く暇があったら、将来を「盲信」して勉強するしか、縋る手段を探せなかった。
 この「盲信」――喩えるなら「風が吹けば桶屋が儲かる」ってなくらい根拠に乏しく、化学実験とは到底比較にならぬほど確率の低いものだった。「この実験を乗り越えると、化学の赤点を回避できる」=「風が吹けば、砂埃が舞う」、「卒業して良い大学に入れば、良い就職先が見つかる」=「砂埃で盲人が増えれば、三味線に張る猫の皮が供給難に陥る」、「良い会社に入れば、良い給料が貰える」=「猫が減れば、鼠が増える」、「カネを稼げば、我が家が貧乏から脱せるし、幸せな家庭も築ける」=「鼠が増えれば、町じゅうの桶を齧るし、桶の需要増によって桶屋が儲かる」――発想がこんな具合だから、「化学」という科目には、その内容がチンプンカンプンにも拘らず、何か吸い込まれるものがあった。自らの将来とは異なり、絶対的といって過言でない法則性を操って、100%といって過言でない正解に辿り着くところに、一種の“羨ましさ”のような感情が介在していたのだろう。「つまらない」くせに「吸い込まれる」不思議な心境・・・あっ、そういえば、この日は「100%の世界を魅せてくれる授業」が、この「化学」の後にもう1つ私を追撃する月曜日だった。
 
 「いいか、問題は単純だ。『次のことは正しいか?正しくない場合はその例を挙げよ。』それだけ。では(1)ac>bcならばa>bな。まず、こういう初歩中の初歩から手際よく捌けるようになりなさい。a,c共に負の数とすれば『ac>0』となる。また、b=0とすれば『bc=0』となる。従って、ac>bcが成り立っても、a>bは成り立たない場合があるといえる。ゆえに『正しくない』。反例を挙げるほうが分かりやすいかもな。a=-2,b=0,c=-1のとき。なっ、成り立たないだろ。
 じゃあ次、(2)a>1,b>1ならばab>1な。どうだ、これは正しいことが一目瞭然だろう。・・・あのさぁ、お前たち、マネキンじゃないんだから、『へえ~』とか『ほう~』とかでいいから、少しは感想めいた反応をしろよ。
 じゃあ次、(3)a<1,b<1ならばab<1な。さっきと不等号の向きが真逆のパターンだ。a,b共に負の数とし、a,b双方またはa,bどちらか一方の絶対値を1より大きくすれば、a<1,b<1が成り立っても、ab<1は成り立たない場合があるといえる。反例としては、a=-1,b=-2のときといったところになる。
 なっ、凄いだろ!えっ?何が凄いのか分からないって?あのさぁ、お前たち、問題を聞いていたの?『次のことは正しいか?正しくない場合はその例を挙げよ。』って、最初に言っただろ。これが数学の醍醐味だよ。だってそうだろ。この広~い世の中でな、物事を『正しいこと』と『正しくないこと』の二者択一で語れるケースなんて稀の稀、ほんの一握りの事象だけなんだぜ。しかも『正しくないこと』を証明できるんだぜ。お前たち、今の自分の生き方が正しいって確たる答えを出せるか?他人の生き方を正しくないと証明できるか?
 『急がば回れ』なのか『善は急げ』なのか、どちらが正しいか分からない。『二度あることは三度ある』のか『三度目の正直』なのか、どちらが正しいか分からない。そもそも正しい事なんて存在するのか分からない。それが人生。でも、法則性が分かれば、予想と計画は立てられる。何が正しいのか分からない人生だけど、ある程度は計算通りに歩めるようになるために、数学的なモノの考え方を身に付けろって、普段から言ってるだろ。『数学なんて勉強しても今後の人生で役に立たない』としか数学を捉えられないような奴がだよ、本当にそのまんま欠伸しながらボーっと授業を聞いてりゃ、ますます人生のあらゆる局面における正誤の判断基準が曖昧で、鈍臭い大人になっちまうってこと。だからな、この授業が『つまらない』のは仕方ないとしても、『くだらない』とは思うなよ。
 では、次の問題。『次の連立不等式を解け。』それだけ。なっ、人生に比べたら楽な問題だろ。まっ、この不等式に向き合うのも人生の一部なんだけどな。では、(1)2X-3>X-1、これが①。X+5≧4(X-1)、これが②だ。まず①より『X>2』、次に②は『X+5≧4X-4』となり『-3X≧-9』となるゆえ『X≦3』だな。従って、正答は『2<X≦3』となる。
 じゃあ次な、(2)X-9≦3X-3≦X+7だ。これは①『X-9≦3X-3』と②『3X-3≦X+7』を同時に満たすXを求めればよい。①は『-2X≦6』となるゆえ『X≧-3』だな。②は『2X≦10』となるゆえ『X≦5』だな。従って、正答は『-3≦X≦5』となる。なっ、お前たちの今後の人生で進むべき道の範囲が特定できただろ!」
 ・・・繰り返すが、つまらない。これくらいの数式なら落第生の私にもまだ理解はできるけれど、理解できたところで、数学は化学以上に「つまらない」。嗚呼、よりによって窓の外は何故こんなにもお天気の日なのか。が、決して「くだらない」とは思わない。
 
 卒業してみてから分かったが――より正確に表現すれば、数学の教えに従って高校生当時に予想していた人生がさほど外れていなかった事を立証できたという認識に近いが――1つ“捕集”できた訓戒がある。それは、つまらないとは云っても、就職後、給料を貰うためにやる「業務」のつまらなさに比べたら、化学や数学と過ごした「青春」のほうが、まだ「妄信できる将来」があった分、マシだったのかもしれないということだ。
 会社での仕事というのは、そりゃ苦労の中にちょっとした達成感があったりもするのだろうけど、あくまでも「働いて得たお金で自分や家族が幸せになること」に付随して「楽しみ」を感じられるものであり、日々の労働それ自体を「楽しい」と評せる人は余程の幸せ者だろう。だって、巷を見渡してみよ。企業理念に心から賛同して勤めている企業戦士って、企業全体の何%くらい存在しているの?胸に手を当ててみよ。「テメエの手掛ける事業って、世間様に必要不可欠かい?」。敢えて無茶な訊ね方をすれば、「キミの今やっているその業務、給料を貰うのでは無く、逆に高校みたいに授業料を払ってでも取り組みたいと思えるほど魅力的かい?」。そうじゃないだろ?安定した収入と引き換えに忍耐を重ねているだけのことだろ?蓋し、己の業務に対し「この私を取り巻く社会生活に明らかな形で役立っている」という価値を見出す作業となると、これは存外難しい。化学実験のような確信的な答えはなかなか導き出せない。圧倒的多数の凡人とは斯くあるものである。
 しかしである。凡人たる私にとって「つまらない事」が、社会にとって「役立たない事」とイコールなわけでは無い。この“当然なる現実”を知り、延いては「私にとって社会とは元来つまらない事を主原料に構成されている」という、若人にはやや“意外なる現実”へ辿り着く作業となると、これは存外易しい。己にさえ素直なれば、数学の不等式のように解けるようになる。自分が面白くて、尚且つ周囲にも役立つ生業を発見するなんて、良く言えば「奇跡」、悪く言えば「絵空事」なのだ。その境地にまで、まずは高校生のうちにしっかり達しておけば、「化学」も「数学」も、「坐禅」や「読経」の如く、或る意味“悟り”を開くための修行として、我が人生に役立っているという自覚が萌芽する。先生の言の葉をじっくりと味わうも、薄々読んでいた通りに挫折した末、やがて己の挫折する姿をもじっくりと味わえるよう、己自身の力で段階的に成長していく。苦手科目のお役目たるや此処にあり――是、先行きの透明度が試験管Bの中で白濁した水溶液よりも酷かった青春期における私の結論だ。
 卒業する頃にもなれば、人生というものを、「楽しいはず」という期待のみならず、「そのために社会で為すべき事のつまらなさ」を含めて、味わい尽くせるようになっていく。それでも大学のあまりのつまらなさに再び挫折するわけだけど、「つまらない科目からも何かを味わわないと、ただ不味いだけで食事が終わってしまうから損だ」「つまらない科目があればこそ、楽しい科目が際立つ」「美味しい料理ばかりの毎日は飽きると心得よ」といった憂世への向き合い方が身に付いたのは、あのスパルタ高校のおかげかもしれない。かといって、今のサラリーマン生活よりも拘束時間が長く点数評価の厳しかった高校の日々に戻りたいとは露程も思っていないけれど――。
 
 さて、中年になってみてから分かったが――より正確に表現すれば、数学の教えに従って高校生当時に予想していた人生がさほど外れていなかった事を立証できたという認識に近いが――もう1つ“捕集”できた訓戒がある。それは・・・つづく

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