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【三田三郎連載】#007:エキセントリック・カウンセリング

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第七回です。
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エキセントリック・カウンセリング

 高校生のときは学校に通うのが苦痛で仕方なく、誰でもいいからそのことを打ち明けられる相手が欲しかった。当時最も身近だったのは同級生だが、彼らにその胸中を吐露するというのは、「あなたたちの存在だけでは学校に通うモチベーションとして不十分だ」と暗に伝えているも同然だから、到底できるはずもないことだった。かといって家族に相談しても、みな一様に「学校に行くのが辛いと言われても、駅まで歩いて電車に乗ったらいいだけではないか」といった調子で、そもそもこちらの主張の趣旨すら理解してもらえないような有様だった。

 そこで私は、学校のカウンセラーに相談しようと思い立った。常駐ではなかったが、定期的に学校を訪れては生徒の相談に乗ってくれるカウンセラーがいたのである。私は勇気を出して、そのカウンセラーに会いに行った。

 カウンセラーは小柄で温和そうな、これぞ老紳士といった風情の男性で、初対面でも安心感があった。初回の面談では、私の悩みにじっくりと耳を傾けてくれた。この人なら信頼できると思い、二週間に一回のペースでカウンセリングを受けることにした。

 二回目以降、カウンセラーとは学校ではなく彼の事務所で会うことになった。その事務所は、コンクリート打ち放しの瀟洒な低層ビルの一室にあった。中に入ると、箱庭療法に用いるための玩具がインテリアのように飾ってあり、その部屋の雰囲気に当初は「これがカウンセリングルームか!」と興奮したものである。この人の手にかかれば、私の悩みなどたちどころに雲散霧消するのではないかと、期待感は十分であった。

 ところが、面談を繰り返すうち、徐々に雲行きが怪しくなってきた。いつの間にか、どういうわけか、カウンセラーがマシンガントークを繰り広げ、私が懸命に相槌を打つという形になっていたのである。そして、その話の内容も、私の悩みと関係があるようには思えなかった。

 例えば、カウンセラーが好んで話題に出したのは、吉田茂の側近として活躍した白洲次郎である。白洲次郎がいかにハイカラで日本人離れした傑物だったかについて、カウンセラーはしばしば熱弁を振るった。白洲次郎がマッカーサーを一喝したエピソードは何度聞いたことか分からない。

 また、無頼派の作家・織田作之助の話もよく聞かされた。カウンセラー曰く、真の意味で人間社会の風俗を描写することに成功したのは織田作之助だけだという。その点で同じ無頼派の太宰治や坂口安吾は劣ると批判するのだが、私は太宰や安吾のファンだったから内心ムッとしながら聞いていた。

 あと、落語家の桂小枝のことは常々ボロクソにこき下ろしていた。これについては、いくら話を聞いても、桂小枝の何がそこまでカウンセラーを苛立たせるのか、全く分からなかった。

 そんなことが続くうちに、段々とカウンセラーに会うのが憂鬱になり、彼の事務所へと向かう足取りが重くなってきた。学校の悩みは解決されるどころか放置され、カウンセラーとの関係が新たな悩みとして追加された。カウンセリングを受けることで、悩みは減らずに純増したのである。カウンセラーとの関係を相談するために別のカウンセラーを探しそうになったほどで、それでは何のためにカウンセリングを受けているのか分からないではないか。その段階に至ってようやく、私はカウンセラーと会うのをやめた。

 もっと早く異常に気付いてもよさそうなものだが、なにせ私はカウンセリングを受けるのが初めてだったから、カウンセラーが私の悩みと関係ない話を延々と繰り広げていても、そういうものなのかと思って疑わなかった。カウンセラーと会うのをやめた時点でも、私は単に相性が悪かっただけだろうと思っていた。

 高校のカウンセラーの振る舞いが一般的なものでなかったとはっきり認識したのは、大学に入学して別のカウンセラーと面談するようになってからである。大学入学直後、まだ高校時代の悩みを引きずっていた私は、大学専属のカウンセラーに相談したのだ。すると、いくら面談を重ねても、ずっと私の話を静かに頷きながら傾聴してくれるではないか。おそらくはそれが一般的なカウンセリングの形態なのだが、私はかえって困惑してしまったくらいである。そこでやっと私は、高校のカウンセラーがエキセントリックだったのだと気付いた。

 ただ、ほどなくして私は大学のカウンセラーとも会わなくなった。悩みが十分に和らいだからというのが主な理由だが、もしかしたら、高校のカウンセラーのインパクトが強烈であったために、大学のカウンセラーに物足りなさを感じたというのも一因だった気がしないでもない。

 それ以降、私はカウンセリングを受けることのないまま現在に至っている。案外、高校のカウンセラーの荒療治が時間差で効いていて、そのおかげで知らず知らずのうちに精神の破滅を免れてきたのかもしれない。もし本当にそうだったとしても、白洲次郎と織田作之助、そして桂小枝を好きになることはないけれども。

心にも管理人のおじさんがいて水を撒いたり撒かなかったり   三田三郎

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著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124

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