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【三田三郎連載】#014:飲酒の心得十カ条

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第十四回です。
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飲酒の心得十カ条

第一条:生きて帰る

 結局のところ、飲酒の心得はこれに尽きるといっても過言ではない。飲酒に限ったことではなく、何事も「命あってこそ」である。飲酒による急性疾患や事故、トラブルによって命を落としては元も子もない。「家に帰るまでが遠足」であるように、「家に帰るまでが飲酒」なのである。ただ一方で、生きて帰りさえすれば、それは酒飲みにとっての勝利である。無事に帰宅することができた暁には、勝利を祝してもう一杯飲もう。

第二条:外で寝ない

 これは前条に付随することだが、家に帰るのが面倒だからといって絶対に外で寝てはいけない。冬であれば凍死の危険があるし、路上であれば轢死の危険がある。また、財布を盗まれるようなことがあれば、肉体的には無事でも経済的に死にかねない。酒を飲むとどうしても家に帰るのが億劫になるということであれば、自宅の近所に泥酔可能な店を確保しておこう。遠方で飲んでいても早めに切り上げて、最後は近所のその店で極限まで飲むようにすれば、外で寝てしまう可能性はぐっと低くなるだろう。

第三条:階段に気を付ける

 これもまた第一条に付随することだが、階段にはマジで気を付けなければならない。階段から落ちて頭部を負傷すれば、人間は思ったよりもあっさりと死んでしまう。実際、飲酒界の先達である中島らもがそのようにして亡くなっている。それが名誉の殉職のようで格好いいと思う向きがあるかもしれないが、それは中島らもだから格好いいのであって、我々一般人が憧れるべきものではない。恥ずかしながら私も泥酔時に階段から落ちて死にかけたことがあるので、この心得については自戒を込めて強調しておきたい。

第四条:擦り傷までは甘んじて受け入れる

 前条までに述べてきたことをひっくり返すようだが、身の安全ばかりに気を取られて酒を楽しめないのであれば本末転倒である。酒を飲むならば擦り傷までは仕方ないものと受け入れて、気を楽にして酔っ払おう。打撲を甘受すべきか否かについては酒飲みの間でも見解の分かれるところであるが、私としては打撲は回避すべきだと考えている。打撲を認めてしまうと、「捻挫くらいはいいか」「剥離骨折まではいいか」となし崩し的に心のタガが外れていくからである。飲酒時の怪我は擦り傷までにとどめておこう。

第五条:法は犯さない

 酒の席には粗相がつきものだが、法を犯すような真似は許されない。我々は飲酒によって、社会に蔓延る硬直的な道徳規範の打破を目論んでいるのであって、法的秩序と真っ向から対決するようなアナーキズムを志向しているわけではないからである。酔っ払って多少の失態を演じることがあったとしても、善良な市民として法律だけは守ろう。もし過去の違法行為を武勇伝のように語る不逞の輩がいれば、合法的な範囲内でめちゃくちゃに非難してやろう。

第六条:酔った勢いでSNSに投稿しない

 これは私自身が守れていないので、どの口が言うかと𠮟られそうだが、できれば守った方がいいのは間違いない。今の時代はスマートフォンという便利かつ厄介なものがあるから、飲酒中であっても容易にSNSへ投稿できてしまう。素面で書き込んだ内容でも炎上することがあるSNSというものに、判断力が劇的に低下している飲酒時にアプローチするのは危険すぎる。飲酒時は可能な限りSNSの利用を避けた方がいいが、もしどうしても投稿したいというのであれば、「おさけだいすき!」といった無内容なものにしよう。

第七条:タクシーに乗る際は運転手に目的地をはっきりと告げる

 いきなりピンポイントの内容になって恐縮だが、非常に重要なことである。合意の上で一緒に飲んでいる仲間同士であれば、多少の粗相は互いに許し合うべきだろうが、タクシーの運転手は純粋な第三者である。運転手を巻き込んで、迷惑をかけるようなことがあってはならない。残された力を振り絞って舌を動かし、目的地を明確に伝えよう。かつて私が泥酔してタクシーに乗った際、呂律が回っていなかったため運転手に外国人と勘違いされ、不慣れな英語で何度も行き先を尋ねられるということがあった。本当に申し訳なかった。

第八条:汚れてもいい服を着る

 酔っていると手元も口元も覚束なくなるから、こぼした飲食物で服を汚しがちである。お気に入りの白いシャツなどを着て飲酒しようものなら、翌日はシミの付着に気付いて落胆すること間違いなしである。ただでさえ飲酒した翌日は二日酔いで大変だというのに、追い打ちをかけられることになりかねない。だから、飲みに出かけるときは汚れてもいい服を着ていこう。飲酒はある意味で激しい運動だから、ロッククライミングでもやるつもりで服装を選んだ方がいいだろう。

第九条:飲み足りずに後悔するくらいなら飲み過ぎて後悔する

 まだ飲み足りないがほどほどにして切り上げるというのは、社会人としては実に結構なことだが、酒飲みとしては恥辱でしかない。「やった後悔よりやらなかった後悔の方が大きい」という人生訓は飲酒にも当てはまる。「もう少し飲めばよかった」という後悔は、無自覚のうちに少しずつ精神に蓄積され、いつの日か酒飲みとしての矜持を崩壊させるだろう。一方で飲み過ぎて後悔した場合は、いったん精神に大きなダメージを負うものの、比較的短期間で飲酒に復帰することができる。どうせ後悔するなら、飲み過ぎて後悔しよう。

第十条:肝臓に感謝する

 何事においても感謝の心は重要である。一緒に飲んでくれる仲間や、酒と料理を提供してくれる店に感謝するのは当然として、自らの肝臓に対しても感謝の念を失ってはならない。肝臓が文句ひとつ言わず淡々と深酒の後始末をしてくれるのを、決して当たり前だと思ってはいけないのである。日頃の感謝の気持ちを、心で思うだけでなく、きちんと声に出して伝えよう。気持ちは言葉にしないと伝わらないというのは、肝臓が相手でも同じである。いつもありがとう、肝臓。

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著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124


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