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【三田三郎連載】#012:インターンシップと第三の尻

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第十二回です。
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インターンシップと第三の尻

 大学三年生の夏、就職活動を始めるべく、企業のインターンシップに応募しようと思い立った。その頃はまだ私も真面目だったのである。手始めに某大手上場企業のインターンシップに応募すると、オンラインでの一次選考を通過して、東京本社での二次選考に進むことができた。

 二次選考の当日、真夏にもかかわらずスーツを着てネクタイを締め、新幹線で東京へと向かった。巨大な本社ビルに圧倒されつつ、会場でペーパーテストを受けた。詳しい内容は明かせないが、いわゆる大喜利のような問題に対して文章で回答するということを、数時間にわたって続けた。テストの内容も若干は奇異に感じられたのだが、それはまだ許容範囲だった。私がもっと奇異に感じたのは、試験官の社員がみな揃いも揃ってハイテンションだったことである。テストについての説明は漫談のように楽しげであったし、何かあるごとに異様な明るさで話しかけてくるのだ。私は途中から怖くなってしまって、テストが終わり次第逃げるように会場を出た。テストの出来などもはやどうでもよく、とにかく無事に関西の自宅へと帰れればそれでいいと思うようになっていた。

 帰りの新幹線で、私には就職活動は無理だと悟った。というか、勤め人として生きることが無理だと悟った。自分にはあれほど長時間にわたってハイテンションを維持することなど到底不可能であるように思えたからだ。今振り返ればその企業が異常だっただけのような気もするが、そのときの私は、全ての勤め人は仕事中ずっとハイテンションを保たなければならないと思い込んでしまったのである。私はインターンシップ一社目にして、就職活動を断念することとなった。

 私は絶望のあまり、車内販売の缶ビールを飲みまくった。車内販売のワゴンが通りかかる度に缶ビールを買って一気に飲み干した。酔いが回ってくるにつれて、絶望は少し和らいだものの、疲れもあったのか体に異変が生じ始めた。左の尻の山頂にあたる箇所が腫れてきたのである。左尻(左の耳を左耳、左の手を左手と呼ぶのだから、こう呼んでも問題なかろう)に突如として出来物が誕生したのである。名古屋あたりまで来た頃には、もう左尻を浮かせて座らないと痛くてたまらない状態になっていた。飲酒は中止して、右尻(右の耳を右耳、右の手を右手……以下省略)に全体重を乗せた体勢のまま、目を閉じて患部がこれ以上腫れないように祈りつつ、新幹線が新神戸駅に到着するのを待った。

 どうにか自宅に辿り着き、鏡で左尻の状態を確認したところ、やはり左尻の中央が真っ赤に腫れている。それは出来物と言うには大きすぎて、右尻と左尻に次ぐ「第三の尻」とでも呼ぶべき代物であった。私は下半身裸のまま、しばらく鏡に映った第三の尻を眺めつつ、やはり慣れないことはするもんじゃない、と思った。

目覚めれば尻の痛みよ拳銃が手元になくてよかった朝だ    三田三郎

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著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124

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