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【三田三郎連載】#006:私がいつもスーツを着ている理由

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第六回です。
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私がいつもスーツを着ている理由

 夏場を除けば、私は外出するときに必ずと言っていいほどスーツを着ている。仕事の日はもちろん、休日でもほとんどスーツである。スーツに何らかのこだわりがあるわけではない。私がスーツばかり着ているのは、単にまともな私服を用意できないからである。人様にお見せできるような私服がないために、消去法で常にスーツを着るしかないのだ。

 では、なぜまともな私服を用意できないのか。服を買う金がないからではない。酒代の一部を洋服代に回せば結構なものが買えるだろう。また、ミニマリストを標榜しているからでもない。どちらかと言えば、不要な物もなかなか捨てられずに溜め込むタイプである。ここまで随分ともったいぶってしまったが、外に着ていける服がないのは、私が絶望的なまでにファッションセンスと無縁だからである。

 実のところ、服そのものはそれなりに持っている方かもしれない。ただ、それらを組み合わせて私服としての及第点を獲得することができないのだ。

 まず、所有しているファッションアイテムの中には、それを採用した時点で、その他をどうしようとも服装として破綻するような、とんでもないものが紛れ込んでいる。胸元にでかでかと薔薇の刺繡が入ったピンクのシャツとか、星形のボタンが嫌というほど縫い付けられた緑のジャケットとか、どんなにコーディネートを工夫しようとも到底リカバリーできないほどの危険なアイテムがいくつもあるのだ。もちろんそれらは以前に自分で気に入って買ったはずなのだが、今となってはなぜそんなものを買ったのか全く理解できない。「文脈は関係なく使われた時点で一発アウトの放送禁止用語」みたいなアイテムが混入しているものだから、まずはそうした危険物を除去するところから服装の選択を始めなければならない。

 その作業が終わり、個々としては瑕疵のないアイテムが揃っても、今度はそれらの組み合わせを考えるのが一苦労である。うっかりすると、グレーのシャツにグレーのジャケットとグレーのズボンを合わせて、フォーマルな服装にしたつもりが部屋着のスウェットみたいになっているといった悲劇が生じてしまう。私はそのあたりのセンスが完全に欠落しているので、よほどの幸運に恵まれない限り、正解の組み合わせに辿り着くことはできない。

 だから、そういうコーティネートを難なくこなせる人がたくさん存在するというのは、羨ましくもあるが不思議でもある。他の人はみな中学か高校でコーディネートの授業を受けたことがあり、私は何らかの理由でそれを履修できなかったのではないかと疑っているくらいだ。

 以上のような理由でまともな私服を用意できない私は、もはやスーツしか着られるものがない。ダークスーツの下にワイシャツを着て、黒い革靴を履けば、服装として大きく間違えることはないのだ。変な色気を出して白いスーツや花柄のシャツを着たり、ワニ革の靴を履いたりさえしなければ、及第点は容易に獲得できる。スーツは私のようなファッション音痴に優しい服装なのである。

 そもそも、根本的なことを言わせてもらえば、私服という概念自体が私には受け入れ難い。確かに、仕事用の服装だけでは気が詰まるから、それ以外の服装はあってしかるべきだろう。仕事のことを忘れてリラックスする時間のための服装もあった方がいいというのは理解できる。だが、なぜそれがパジャマではいけないのか。パジャマで街へ出かけて友人と遊んでもよさそうなものではないか。しかしながら、実際にそんなことをしようものなら、友人からは露骨に嫌がられ、周囲からは奇異の目で見られるに違いない。せっかく仕事から解放されてリラックスした時間を過ごすというのに、仕事用とは別にきちんとした服装を用意しなければならないのは、実に納得のいかないことである。

 とはいえ、不満ばかりを言っていても仕方がない。私はパジャマで街へ繰り出すような無頼漢になりきれないから、休日は私服の代わりにやむなくスーツを着用している。そうすることで、まともな私服を用意できないという問題は概ね解決するのだ。

 ただ、常にスーツを着るとなれば、新たに厄介な問題が生じてくる。それは、土日に人と会ったときに「今日は仕事だったのですか」と尋ねられることである。私は土日が休みなので、「はい」と答えれば嘘になってしまう。嘘を貫き通すというのも一つの手かもしれないが、もしその嘘が露見するような事態になれば、休日にもかかわらずスーツを着ることで一仕事終えてきた風を装っている奇人だと思われる。一方で「いいえ」と答えれば、それはそれで休日なのになぜかスーツを着ている奇人だと思われる。どちらにしても奇人判定である。ファッションセンスが死んでいる奇人もしくは常にパジャマを着ている奇人になるのを回避するためにスーツを着ているというのに、それによって結局は奇人だと思われるのはなんともやるせない話である。

 現在のところ、土日にスーツを着ていて「今日は仕事だったのですか」と尋ねられたら、「ええ、まあ、仕事ではないのですが、ちょっと」などとごまかしている。ただ、もしこのエッセイが一億人に読まれ、私がいつもスーツを着ている理由が日本中の知るところとなれば、もうそのような質問をされて答えに窮することもなくなるだろう。そうなればこの問題は解消されるので、私が心置きなく土日もスーツを着られるように、みなさんどうかこのエッセイを周囲の方に勧めてください。

畳まれて不本意ならば死ぬときに着るから遂げろシャツの本懐   三田三郎


著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124

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