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【三田三郎連載】#008:私は女子と話せなかった

※こちらのnoteは三田三郎さんの週刊連載「帰り道ふらりとバーに寄るようにこの世に来たのではあるまいに」の第八回です。
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私は女子と話せなかった

 私は中学・高校と男子校に通っていて、その間は母以外の女性とまともに話をする機会がなかった。人格形成において重要な時期に、女性と話す機会をほとんど得られなかったことは、現在に至るまで私の人生に暗い影を落とし続けている。

 この話をすると、必ずと言っていいほど、「男子校に通っていたことを言い訳にするな、自ら積極的に行動すれば学校の外部で女子と交流する機会はいくらでも得られたはずだ」という趣旨の批判を展開する人間が現れる。だがそんな主張は、現代日本社会でよく見られるようになった、想像力の欠如した強者による不遜な自己責任論にほかならない。

 確かに、同級生の中には、他の学校の女子生徒と交流を持つ者もいた。例えば、中学・高校どちらも近くに女子校があったので、スクールカーストの頂点同士では定期的に交流していたらしい。私はそれを勝手に「サミット」と呼んでいたけれども、国の首脳同士で交流があってもそれが国民同士で直接の交流があることを意味するわけではないように、スクールカーストの頂点同士で交流があったとしてもそれは底辺にいる私からすれば遠い世界の話でしかなかった。

 また、部活動を通じて他校の女子生徒と親しくなる者もいた。特に、他校と男女共同で練習や活動をするような文化部には、そういう不届き者が少なからずいた。だが、中学・高校と文化部に在籍していたはずの私に、そういう経験は全くなかった。まず、中学時代は「数研部」という名前のクラブに入っていたが、数学を研究することは一切なく、実際は各々が部室で好き勝手にパソコンをいじっているだけだった。高校時代は写真部に入っていたが、こちらも各々が帰り道や旅行先で気の向くままに写真を撮るだけで、まともな活動実態はなかった。中学・高校いずれも、部活動で他校の女子生徒と接するような機会はなかったのである。

 こうした環境下に置かれていた私に対して、もっと積極的に他校の女子生徒と交流を図るべきだったと非難するのは、あまりにも酷ではないか。そもそも他校の女子生徒と交流するという選択肢自体が、一部の特権階級だけに与えられたものであって、自分とは全く無関係だと思い込んでいたのである。まして、他校の女子生徒と交際に至るなどといったことは、当時の私にとってはもはや都市伝説のようなものであって、羨ましさを感じる以前にリアリティがない話だった。

 そして、思春期に女子と交流する機会を持てないまま大学生活に突入した私は、当然のごとく連日パニックに陥ることとなった。私の入った学部は男子より女子の方が多かったということもあり、とにかく周囲に女子がたくさん存在していたし、一年生の春学期は少人数で行われる必修の授業が大半で、学生同士が触れ合う機会も多かった。必然的に、女子とコミュニケーションを図るべきケースが突如として激増したのである。

 ところが私は、中学・高校で女子と会話する訓練を受けていない。女子から話しかけられても、うまく返答ができるかどうかといった以前に、まず相手の顔を見ることができない。相手の方向にある壁のどこか一点を凝視することでどうにかごまかしつつ、「うん」とか「そうだね」とか相槌を打てれば上出来で、大抵は呻き声のようなものを漏らすだけという体たらくだった。

 それでも最初のうちは「まあ、いずれ慣れるだろう」と楽観的に構えていたのだが、一カ月経っても二カ月経っても、事態が好転する兆しはなかった。焦った私は、女子によく話しかけているSくんを勝手に師匠として崇め、彼の言動を見習うことにした。Sくんはよく、「春の匂いがするね」とか、「夏はまだ寝ているね」とか、季節についてのポエティックな言い回しを多用して女子に話しかけていた。私にはそれがキザに感じられてならなかったが、それが正解なのであれば我慢するしかないと腹を括って、Sくんを真似ることにしたのである。窮状を打開するためにその作戦に賭けたのだが、結果は惨敗に終わった。もごもご口ごもりながら「夏がようやく目を覚ましたね」などと話しかけられた方は、気味が悪くて仕方なかったことだろう。私が話しかけると、みな一様に急用を思い出して、そそくさと立ち去るのだった。

 そもそも師匠のSくん自身が女子たちから滅茶苦茶に嫌われていると知ったのは、春学期が終わってからのことである。

 結局、私は大学在学中に女子と問題なく会話ができるようにはならなかった。いつまで経っても女子に慣れることはなく、いざ対面すると緊張のあまり言葉が出てこない。中高六年間の空白期間によってもたらされた影響は、想像以上に甚大だったのである。

 恥ずかしながら、私が女性とまともに会話できるようになったのは、二十代も半ばに差し掛かった頃である。それは決して、女性とのコミュニケーションに慣れたからではない。日常的に飲酒するようになったからである。酒を飲みさえすれば、緊張せずに女性と話せることに気付いたのだ。そして、飲酒時の成功体験により自信を深めることができたのか、素面でもある程度は女性と会話できるようになった。

 ただ一方で、酒に頼り過ぎた反動なのか、今では素面だと男性相手に話すときでも緊張するようになってしまった。やはり得るものがあれば失うものもあるということだろうか。世の中は実にうまくできている。

カップルの喧嘩だ俺もまぜてくれ最初は聞き役に徹するから   三田三郎

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著者プロフィール

1990年、兵庫県生まれ。短歌を作ったり酒を飲んだりして暮らしています。歌集に『もうちょっと生きる』(風詠社、2018年)、『鬼と踊る』(左右社、2021年)。好きな芋焼酎は「明るい農村」、好きなウィスキーは「ジェムソン」。
X(旧Twitter):@saburo124

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