見出し画像

ゴーン夫人の出国を「二重国籍の悪用」呼ばわりするのは筋違いである件

(画像はウィキメディアコモンズ:Ecole polytechnique [CC BY-SA 2.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0)])

 カルロス・ゴーン氏が4月4日、新たに特別背任の疑いで再逮捕されました。一方ゴーン氏の妻は、東京地検にレバノンのパスポートを東京地検に押収されていたところ、米国&レバノンの二重国籍であったため、5日、米国のパスポートを用いて出国したという報道がありました。
 これを見て「二重国籍の悪用だ!」という声もありますが、そのような評価は適切なのでしょうか。

そもそも根拠がなければ人身の自由を制限できない

 まず「悪用」というからには「やってはいけないことをやった」というニュアンスが含まれていますが、この場合の「やってはいけないこと」とは、「出国」ということになります。それでは、ゴーン夫人が出国していけないという根拠が何かあるのでしょうか。
 ゴーン夫人にも人身の自由や帰国の自由が存在しますから(憲法および世界人権宣言参照)、正当な法的根拠がない限り、移動を制限されるいわれはありません。

国外逃亡阻止のためのパスポート没収はできない

 そもそも東京地検が妻のパスポートを押収(捜索・差押)したのは何のためだったのでしょうか。
 こういうと、すぐに「わかってる。国外逃亡を阻止するための没収だろ?」という反応が飛んできそうですが、実は、国外逃亡阻止のためにパスポートを"没収"する権限は、東京地検にはありません。東京地検ができるのは、一定の犯罪の立証のため必要な証拠となりうる物品を確保するために押収することです。

物品を押収するための法的根拠は?

 ここで大原則として、東京地検といえども、何かしら怪しいと思った人間の持ち物を何でもかんでも自由自在に押収できるわけではない、ということを押さえておきましょう。他人の物品を押収するからには、一定の法的根拠が必要となります。ここで根拠となるのは、まず憲法です。関連する条文を見てみましょう。

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
○2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

 憲法35条は、上記のように、人の住居、書類および所持品を捜査機関が捜索して押収するには、原則として裁判官(司法官憲)が発する令状が必要であることを定めています。(「第33条の場合を除いては」と書いてありますが、これは逮捕に伴う場合にその所持品等を押収するようなケースです。この場合は令状は不要とされています。)

 次に、この憲法の定めを受けて、より具体的な規定を設けているのが刑事訴訟法です。

第二百十八条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により、差押え、記録命令付差押え、捜索又は検証をすることができる。(以下略)

 このように刑事訴訟法では、捜査機関が捜索差押を行うことを具体的に認めていますが、あくまでも犯罪の捜査、つまり犯罪事実の証拠を収集することが目的です。わかりやすい例としては、覚せい剤や銀行口座の預金通帳を押収するケースがあげられるでしょう。例えば覚せい剤は、覚せい剤取締法違反の証拠として押収されます。また詐欺の証拠として、被害者から金銭を振り込ませた預金通帳が押収されることもあるわけです。
 パスポートを押収する場合も、これと変わりません。覚せい剤が覚せい剤取締法違反の証拠となり、預金通帳が詐欺罪の証拠となるのと同じように、パスポートの押収も、そのパスポートが何かの犯罪の証拠として必要な場合に押収が認められるのです。

パスポートの押収は「証拠の確保」の意味しかない

 最初の問題にたちかえると、このようにパスポートの押収が認められるのは、犯罪の証拠として確保する必要がある場合に限られており、誰かの出国を阻止するために押収するという行為は捜査機関には認められていません。東京地検特捜部といえども、出国を阻止するためパスポートを押収することを刑事訴訟法は認めていないのです。

 そうなると、東京地検はあくまで一つの証拠としてレバノンのパスポートを押収しただけであって、ゴーン夫人の出国を禁止する権限など(現時点では)東京地検には元々ないのですから、もう一つの米国のパスポートを使用してゴーン夫人が出国したとしても、何ら不当なことではなく、「悪用」などと呼ばれるいわれもないわけです。

ホンネの目的が証拠の収集ではなく出国阻止だったら?

 ここで「建前」と「ホンネ」が違う可能性についても考えて見ましょう。東京地検は、証拠として必要だとしてパスポートを押収しておきながら、そのホンネが、パスポートを証拠として使うためではなく、ゴーン夫人の出国を阻止するためであったという可能性はあります。しかしそのようなホンネは刑事訴訟法は想定しておらず違法ですから、何ら考慮するに値しません。

 仮に東京地検のホンネが、証拠収集のためのはずのパスポートの捜索差押手続を利用して、実質的には刑事訴訟法が想定していない出国阻止をする目的のためだったとすると、ゴーン夫人が二重国籍を「悪用」したのではなく、逆に東京地検が捜索差押手続を「悪用」した(そして二重国籍のおかげで失敗した)ということになってしまうでしょう。 

どういう場合に出国を阻止できるのか?

 それでは逆に、ゴーン夫人の出国を阻止できるのはどういう場合でしょうか。これは刑事訴訟法ではなく、出入国管理及び難民認定法(以下「出入国管理法」)の問題になります。

 出入国管理法第25条2項では、外国人が出国するにも「出国の確認」という手続を入国審査官から受けなければならないことが規定されています。
 そして同25条の2では、出国しようとしている外国人が「死刑若しくは無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪につき訴追されている者又はこれらの罪を犯した疑いにより逮捕状、勾引状、勾留状若しくは鑑定留置状が発せられている者」に該当することを入国審査官が通知されている場合には、出国の確認を24時間留保(つまりその間は出国が阻止される)することができるものとされています。出国の確認を留保して国外に出られないでいる間に、逮捕などができるようにするという趣旨です。

 従ってゴーン夫人が上記の罪(特別背任罪も長期10年の懲役なので含まれる)を犯した疑いがあって、必要な要件を充たして逮捕状、勾引状等が発せられている場合であれば、この出国の確認の留保の制度により、出国を阻止することができる(できた)わけです。(なお言うまでもありませんが、二重国籍や三重国籍であれば逮捕状等が発付されにくくなるわけではありません。)
 本件では、ゴーン夫人について逮捕状も勾引状も発せられていませんでしたから、この出国の確認の留保という手段は使えなかったというわけです。

 「えらく手続が面倒だな」と思われるかも知れませんが、それは当然なのです。本来、人間には人身の自由があるので、それを公権力がわざわざ制限して拘束しようとするからには、厳格な法的根拠や手続が必要になるのは当然のことと言わなければなりません。

 

 


よろしければお買い上げいただければ幸いです。面白く参考になる作品をこれからも発表していきたいと思います。