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叙事詩でなく、抒情詩として描く(テレビアニメ「平家物語」)

2022年1月からフジテレビで放送されているアニメ「平家物語」。

映画「聲の形」を手掛けた山田尚子さんが監督を務めている。Amazon Prime Videoでも配信されていたため初回放送を観た。

面白くなる予感しかない。

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「平家物語」は、とても有名な作品だ。

平家繁栄、没落の10年間ほどを描いた話で、それなりの分量があるにもかかわらず、たいていの人が大筋を把握している。中学、高校で繰り返し音読した冒頭部分「祇園精舎の鐘の声〜」、今でも暗誦できる人もいるだろう。

逆に言うと、「平家物語」のストーリーは既に固定化されている。

公式サイトを見ると、オリジナルキャラクターのびわ以外、主要な登場人物はすべて平家だ。

つまり彼らは、最終的に、死ぬ。

死ぬ人たちが、主要な登場人物であり、史実としてはバッドエンドだと決められている。

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それでも「面白くなる予感しかない」と書いたのは、アニメの躍動感だけではなく、山田尚子さんのインタビューによる期待が大きいからだ。

いわく、本作を「叙事詩でなく、抒情詩として描く」とのこと。

叙事詩は「こと」に焦点をあて、抒情詩は「感情」に焦点をあてるものだ。

アニメや読み物が「感情」に焦点をあてるのは当然のことだが、なんといっても史実の影響を直接受けた「平家物語」である。ともすれば、キャラクターが「いつ何をしてどうなったか」といった羅列に終始してしまうだろう。

叙事詩であれば、平氏よりも源氏を描く方がベターだ。

というか歴史作品において、一部の例外を除き、この時代を扱う作品としては、源氏(源頼朝、源義経、北条家など)であることが多い。理由はいたって単純で、歴史において、源氏こそ勝者だからだ。

歴史とは、常に勝者によって史実が書き換えられる。

やや穿った見方かもしれない。

だが例えば江戸幕府が今なお続いていたとして。坂本龍馬や西郷隆盛、木戸孝允などは、政府に反逆した者として汚名が着せられていただろう。彼らがヒーローのような扱いを受けるのは勝者のコンテキストによることが大きい。結局のところ江戸幕府が終わり、明治維新のもとで新政府が立ち上がったのだ。

同様に、日本史を学んできた僕らは、源氏の物語をすんなりと受け入れる。なぜなら平氏は悪者として認識されているからだ。「平家にあらずんば人にあらず」という言葉に象徴されるように、栄華を極めた平氏は驕り、社会の秩序を乱す存在になってしまった。

だけど彼らが本当に驕り、傲慢になっていたかは分からない。それに類する物的証拠や証言はあるものの、実際のところはどうだったんだろう。

史実を紐解き、また平家物語を丁寧に辿っていくと、必ずしも平氏=悪にはならない。仮に悪だったとしても、悪には悪の事情がある。それを明らかにできるのは、叙事詩でなく抒情詩なのだ。

重ねて言うが、このテレビアニメは面白くなる予感しかない。

気になる方は、ぜひチェックしていただきたい。

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