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「東京に住む」というサブスクが使いきれなくなった。

先月末、東京を離れた。

地方出身だった僕は、大学進学をきっかけに神奈川県で一人暮らしを始めた。2012年からは東京に住まいを移した。自転車で芝浦埠頭からお台場までレインボーブリッジをわたり、有明や勝鬨を経由して、銀座〜内幸町〜田町を巡った記憶は今も新しい。「ああ、東京に来たんだ」と。

パートナーとの結婚や息子の誕生というライフイベントを経ても、東京暮らしを続けた。そこそこの家賃を支払いながら、それでも東京にこだわったのは、東京でしか得られない体験に価値を感じていたからだ。

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このたび、長男の小学校入学のタイミングを契機として、地方の町へ引っ越した。

パートナーと結婚したときに借りていた1DKの賃貸マンションは、子どもたちの成長に伴い手狭になっていた。兄弟同士が衝突するケースも増え、そして僕自身も閉塞感を抱くようになっていた。

僕ら夫婦はともに働いているが、特定のオフィスを持たずに仕事をすることが可能である。「だったら、好きな場所に住めばいいじゃん」という理屈なのだが、僕らは東京が大好きだったし、ギリギリまで東京暮らしの継続をオプションに掲げていた。

だが改めて考えを深めたときに、「そもそもなぜ僕たちは東京にこだわるべきなのか」が分からなくなっていた。以前よりも、東京に固執したい理由がなくなっていたのだ。

確かに東京は便利だ。気が向けば、映画館や美術館に足を運ぶことができる。海外アーティストは東名阪でライブを行なうことがほとんどだし、いち編集者としても東京にいるメリットは大きい。

だが、デメリットもまた大きいものだ。例えば東京で賃貸マンションを借りるとして、1ヶ月に15万円支払うとする。それは15万円のサブスクリプションサービスと同義である。「東京に住む」だけで、1日あたり5,000円というのは割に合わないような気がしてしまった。

今、暮らしている場所から、東京までの往復の交通費を算出してもトントンである。移動時間というコストはあるものの、いわゆる“都度課金”で東京を楽しめるのではないかと思い至ったのだ。5,000円を都度課金して、東京に行って映画なり美術館なりライブなりを楽しむ。5,000円は確かに高額だけど、もともと1日あたり5,000円を捻出して“サブスク”型の契約をしていたので、考え方によっては全く惜しくないわけだ。

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築年数は相当なれど、幸運なことに庭つきの一軒家で暮らせている。

長男と次男が家の中で追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、庭に出て昆虫の観察をしたりといった余裕が生まれた。僕も「書斎」なるものを得ることができ、精神的な安定感を持てている。

とはいえ、きっといずれは、東京への憧憬が再び顔をもたげてくるだろう。サブスクリプションとして東京住まいにシフトした方が良いと思うときだってあるはずで。そのときまで、移住先の生活を思う存分楽しみたい。

朝起きると、鳥が「ホー、ホー、ホー」と鳴いている。名前は失念してしまったけれど、東京ではお目にかかれなかった鳥である。家を出れば、庭には多様な生物や植物が生息している。それらを子どもたちと観察しながら、あれやこれや会話するのも非常に楽しい。

今のところ、「東京に住む」というサブスクは必要ない。東京は大好きで、それは変わらないけれど。ちょくちょく東京に行くことで、僕の中の「東京」像を維持していけたらと思う。

これまで東京で遊んでくれていた皆さん、引き続き、東京で会いましょう。サブスクは解約してしまったけれど、東京との距離が生まれたわけではない。むしろ、もっと東京を好きになる自信があります。

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