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小説というフォーマットを利用する(チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』)

読書ラジオをnoteと連携する企画を思い立ったにも関わらず、なかなか気分が乗らずnoteを放置する日々が続きました。

もちろんその大きな要因はCOVID-19なわけですが、読書ラジオだけは、粘り強く更新しています。毎週放送を重ね、今日まで12回の放送を世に送り出してきました(やや大袈裟ですが)。

気分が乗らないとは言え、アウトプットすることができないわけではない。むしろ逆で、今だからこそ、何かをアウトプットしたいという衝動がある。矛盾しているかもしれないけれど、この4, 5月はそんな葛藤がありました。何が正しい、正しくないというのは適切なイシューではないことは分かっている。だけどできれば、今の世の中に相応しいアウトプットをしたい。今年3月から始めたPodcastですが、たぶん、新年度にキリ良くスタートしようと思ったら続けることができていなかった気がします。何事もタイミングですね。

最近思うのは、大切なものを落とすことと同じくらい、大切なものを「拾わない」ことも勿体ないということです。「よっこらしょ」と腰を折り曲げて、何かを拾い上げるのはちょっと面倒です。日々のコンフォートゾーンを抜け出さないといけないわけです。ゆるく限られた日々をやり過ごす気は毛頭ないので、2020年後半戦は頑張ります!

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今回はチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』を取り上げます。

装画が印象的で、この本を初めて認知したときのことは記憶しています。汐留シティセンターの書店「リブロ」で、榎本マリコさんの抽象度の高いデザインに惹かれました。

ただそこで本を手に取ることはなく、そのままにしていました。それから数年経ったときに再会した場所は、妻の実家。手持ち無沙汰だったこともあり読んでみました。

一言で言うと「韓国人女性が社会で生きる上での不遇が描かれている、敢えて小説というフォーマットが選択された作品」という感じでしょうか。キム・ジヨンという主人公の、学生時代、就職活動、仕事、出産、育児が淡々と描かれ、その全てにおいて「生きづらさ」が散りばめられています。「こんなにも大変なのか……」と唸ってしまうのは、作者の怒りや憤りが詰まっている証拠だと思います。

文体のことを、訳者の斎藤真理子さんはこんな風に解説しています。

小説らしくない小説だともいえる。文芸とジャーナリズムの両方に足をつけている点が特徴だ。リーダブルな文体、ノンフィクションのような筆致、等身大のヒロイン、身近なエピソード。統計数値や歴史的背景の説明が挿入されて副読本のようでもある。「文学っぽさ」を用心深く排除しつつ、小説としてのしかけはキム・ジヨンの憑依体験に絞りこんで最大の効果を上げている。(チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』P186より引用)

言い得て妙です。「事実は小説より奇なり」を象徴する強さに圧倒されてしまいます。当然ながらフィクションなので、キム・ジヨンは架空の人物です。ですがその匿名性は韓国の(あるいは世界各国の女性の)人生を背負っていて、男性である自分にズキズキと刺さってきます。誰かを殺めるような「ハプニング」は必要なく、状況説明だけで、彼女の「不遇」を伝えることができるのです。

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この小説は、小説らしい小説ではないかもしれません。社会性が強く(「社会性が強い」小説が小説らしくないというわけではありません)、作者のメッセージがあまりにも真っ直ぐ伝わってきます。

言葉は悪いかもしれませんが、チョ・ナムジュさんは小説という「フォーマット」を利用したのです。既に作家として名を馳せている方ですから、ノンフィクションとして実在の誰かを選択し、アウトプットすることもできたでしょう。

実際に彼女のインタビューを読むと、小説であろうと何だろうと、アウトプットの方法は何でも良かったことが見受けられます。ただ結果的に小説はポピュラーな伝達手段なので、韓国で100万部を突破するベストセラーに繋がったのでしょう。

この作品を書いた時、読んだ人が小説だと思わなくても良いと思いました。ルポや事例集のようだと受け止めてもらっても構わないと思いました。私にとって小説を書きたいというのが出発点ではなく、女性の人生を書きたい、私と同世代の現代を生きる女性の人生を歪めることなく、卑下することなく書き記したい、という思いが強かったんです。
(CINRA「『82年生まれ、キム・ジヨン』著者が来日。「社会の変化と共にある小説」」より引用)

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僕が読書ラジオで伝えたいことは、読書が持つ「幅の広さ」「奥行きの深さ」です。いわゆる純文学が好きな人はこの作品を酷評するかもしれませんが、僕はこういった表現方法も取れる小説の効果 / 効用というものに改めて「凄さ」を感じてしまうのです。

韓国文芸において、本作が良い意味で「レガシー」として価値を引き継がれていくものになるのかどうか僕は分かりません。だけど少なくとも「今」という時間軸において大きな価値を持ったことは、作者の成功と言えるでしょう。

僕は同時代を生きている隣国の男性として、チョ・ナムジュさんのチャレンジを心から肯定したいと思うし、キム・ジヨンさんがいつか自分を取り戻すことを陰ながら祈っています。

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