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もっと自然に、書けるように。

つい先日、noteの800回連続投稿を達成した。

2021年4月1日から連続投稿を続けているので、丸2年は文章を書き続けている計算になる。前職で、人事採用の仕事をしていたときは、まさか僕がこんなふうに毎日何かしらの文章を書き続けるようになるとは思いもしなかった。特に2023年は、思い切りライターとしての比重を置いているので、仕事もプライベートも関係なく、ずっと文章を書いているわけだ。

ベンチマーク(というと、大変おこがましいが)として、糸井重里さんの文章を時折チェックしている。「ほぼ日」としながらも、1998年6月6日創刊以来、休まずに更新を続けているわけだ。僕も毎日更新しているとて、日数ベースでは全く差が縮まらない。僕も更新しているが、糸井さんも毎日書いている。

少し前の「ほぼ日」で、糸井さんは、「だいたい毎日書いている」と記していた。つまり「今日のダーリン」というコンテンツは、何回かは例外として書き溜めていたものを更新していたらしいが、基本的には、その日のうちに、その日に更新するための文章を書いているという。

どうなんだろう、「あー、今日はネタがねえなあ〜」なんて思っているのだろうか。たぶんだけど、糸井さんは書くことに困っていないように思う。

糸井さんの文章には、「書こう」という気概が含まれていないように感じる。それは村上春樹さんの文章とも違う、独特の雰囲気を纏っている。クリエイティブの界隈では糸井さんのことを知らない人はいない。だから、もうちょっと高尚なことが書かれても良いはずなのに、その文章には、良い意味で「成長意欲」のようなものが見受けれないのだ。

野心がない文章とでも、言おうか。

糸井さんのように、もっと自然な文章が書きたいと思って、今日こんなエッセイを書いた。草稿を仕上げるまでの所要時間はたったの15分。すらすらと文章が浮かんできた。ちょっとだけ推敲して、さっき公開した。この文章は、まあまあ気に入っている。

なぜ僕が、毎日noteを更新しているのか。

それは、僕自身のためだ。以下のnoteを365日連続で書いた後に記したが、このときの気持ちはそれほど変わっていない。「何者」でもない僕が、「何者」になることを臆せず表明している。読んでいて、若干、痛々しくもある。

それでも、何か表現したいと思う感情は止められない。

書くのは確かに大変だ。だけど、これから半年間くらいは、もっと自然な文章が書こうと思う。それって難しいというか、言葉にして「できる」ことではないのだけど、なんか、今の自分なら「書ける」ような気がしてならない。

たぶん、書ける。

今の自分よりも、もっと良い文章を。

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