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イチロー選手の引退を想う〜選手であることの意義と使命感について〜

2019年3月21日、イチローさんがプロ野球選手として引退を決断した。
長い間、当たり前のように紙面を賑わせていたイチローさんの一挙手一投足。もう見られない寂しさはあるものの、これまでの軌跡には敬意しかない。本当にお疲れ様でした。

僕たちがイチローさんに惹かれる理由

イチローさんの野球人生は、全てが順調だったわけではない。
ドラフト1位で入団したわけではないし、プロ入り後2年は一軍に定着できなかった。メジャーで最多安打記録を含む数々の金字塔を打ち立てたもののチャンピオンリングは手にしていない(プレーオフすら二度しか出ていない)。
何より昨年の状況は苦しかったのではないか。マリナーズとの契約により、シーズンの大半を「一切試合に出られない」状況になってしまったのだ。

そんな状態でも「最低50歳まで現役」と表明し、自身のトレーニングは欠かさなかった。フィジカルのしなやかさは突出していたけれど、僕たち凡人は、イチローさんのメンタルの強さにこそ憧れを抱いていたように思う。

「選手」という言葉は、イチローさんを形容するのにピッタリだと思う。
語源のことは分からないけれど、「選手=選ばれた人」ということであれば、イチローさんほど選ばれることに強い意義と使命を感じ、そして結果を残してきた人は稀だ

多くのビジネスパーソンはどこかの組織に所属し、何らかの役割を付与されている。Aさんでも、Bさんでもなく、「僕(=あなた)」が選ばれている。

だけど僕らは、往々にして結果を残すことができない
誰かが言っていたけれど「営業マンの8割は自分に課せられたノルマさえ達成できていない」。会社や事業によって目標達成の成否は異なるけれど、「人事を尽くして天命を待つ」という境地に常に立てている人はいない。少なくともイチローさんのようには。

いつだってイチローさんはスターだった

オリックスブルーウェーブに所属していたときのイチローさんを、僕は直接観戦する機会には恵まれなかった。しかしながら幸運も重なり、僕は社会人になってからメジャー の舞台で活躍するイチローさんを観ることができた。
当時は「本当に活躍してるんだなあ」というぼんやりした感じだったけれど、オークランドで観戦したイチローさんは遠目からでも凛としていた。日本人の身内びいきだったかもしれない。
いずれにせよ、アメリカで活躍するイチローさんを観ることができたのは、本当に素晴らしい体験だったと断言できる。

結果的に引退試合となった、国内で行なわれていたメジャー開幕戦を僕は観戦できなかった。いまいち気が進まなかったというのもある。何となく。

最後にイチローさんの勇姿を観たのは、2012年に開催されたマリナーズ vs アスレチックスの開幕戦だ。
チケットはめちゃくちゃ高額だったけれど、当時イチローさんと松井秀喜さんを同時に観られる滅多にないチャンスだった。(残念ながら松井秀喜さんは前年でアスレチックスとの一年契約が満了してしまったので、イチローさんだけが日本凱旋となったわけだが)

実はそのときのイチローさんは、2011年に10年連続で達成してきた200安打の記録が途切れ、衰えの声が指摘され始めた頃だった。(事実その年の7月にヤンキースへとトレードされた)

そんな状況を跳ね返すように。
開幕戦のイチローさんは5打数4安打1打点と輝きを放つ。

東京ドームの観客はイチローさんが打席に入ると、物凄い量のフラッシュを浴びせていて、一緒に観ていた友人とただただ興奮していた。

誇りに思った。

イチローという「選手」は、日本人の誰からも注目され、期待され、憧れを抱かれてきた。その思いをただ静かに受け取り、必ず結果で返してきたのだ。

そんな彼をスターと呼ばず、何と呼べばいい。

たくさんの感動を、ありがとう。
しばらく肩の荷を下ろして、ゆっくり休んでください。


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