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「近いうちに会おうね」という不確かな約束

数年前に亡くなった友人のお墓へ足を運び、ひと月が経過した。本当はすぐにでもお墓に行きたかったけれど、事情が事情ですぐに行くことができなくてかなり時間がかかってしまったけれどようやっと、彼女に会うことができた。

かなり年数も経ったし、自分への咎めとして綴らせてほしい。コロナ禍の今だからこそと言うのもあって、中々人に会えないからこそ当時のことを考えてしまう。


1.最後の連絡になるとは知らずに

彼女と最後に連絡を取ったのは、彼女が亡くなるほんの二ヵ月前のことだ。お互いに学校を卒業した後、ちょこちょこ連絡を取っていたのだがお互い住んでいる地域が違うのもあって、卒業以来は全然会っていなかった。そんなある時、彼女から新年のあいさつの連絡が来て「近いうちに会えたらいいね」という文章が添えられていた。全然会っていなかったし、私も彼女と久々に趣味の話で花開かせたいと思いお互い色々落ち着いたら会おうと返した。けれど、

その二ヶ月後、彼女は他界した。あまりに突然だった。ニュースにもなった出来事のため死因の詳細は書けないが、自殺ではない。大雑把に言えば事故死のようなものだった。

級友から連絡が届き、最初は同姓同名の別人だろうと、そうであってほしいと願っていたが私の願いもむなしくその訃報はまさに彼女のものだった。

なんで会わなかったのだろう。

会う機会はきっとあったはずなのに。

それなのになんで。

そう思うとただただ後悔がドバッと押し寄せてきて、悲しくて、私は家で一人その場に泣き崩れてわあわあと声を上げて泣いた。友人を亡くすという経験が初めてで、それがあまりにも早すぎる死で、それは私が経験するにはあまりに若くて、色々な思いを巡らせてしまい、暫く眠れない日々が続いた。

2.意気投合し、旅行に連行される。

彼女は高校で出来た初めての友人だった。通ったジャンルがほぼ同じ、趣味が非常に似ていてほぼ毎日互いの趣味のことを語りあっていたことを今でも昨日のようのことに思い出せる。私は中学生時代から所謂一次創作や二次創作活動をしていたのだが、所謂周囲には読み手側の友人が多く作り手側で意気投合できる子というのが中々いなかったもんだから彼女とのやり取りは本当に楽しかった。向こうも、私といることを楽しいと思ってくれたのか(そうだと嬉しいなあ)夏休みに入る一ヶ月ほど前に私に彼女は声をかけてきた。

「8月良かったら一緒に○○に旅行行こうよ」

友人と旅行と言う経験は修学旅行以外になく、あの時はポカンとした顔をしていたと思う。かと言って特に断る理由はなく、誘われた事に対してなんとなくいい意味で現実味を感じはしなかったが二つ返事でOKを返した。そして8月に入って彼女から「旅行8月○×日だから宜しくね^^」と連絡が来て

マジのことだった

直前まで半信半疑だった私は本当のことだったのかと驚いてひっくり返った。失礼にも程がある。でも本当にそういう経験がなくて、友人と旅行なんて私みたいな根暗が経験するなんて思ってもなかったんだ。それから8月に入り、私は彼女のお母さんに初めて会うために心臓バクバクさせながら(嫁入り?)も同時に人生で初めての経験に心躍らせながらも集合場所へと向かったのだった。

そこからの出来事は楽しいの連鎖だった。温泉につかりながら友人と趣味の話や互いの創作の話をし美味しい物も食べさせてもらい、夜はベッドでごろごろしながら話す内容尽きないのかというぐらい話して。私は朝が弱く、起きるのが遅いので寝顔を撮られた時は流石に焦って彼女から携帯を奪おうとトムジェリみたいな追いかけっこもしたりしたりしたが。終わらないでと思った時間は久々だった。

その後、彼女はコースを変更した為に進級時、クラスが別になったものの頻繁にクラスに遊びに来てくれたので疎遠となることはなかった。長期休みには彼女の家に遊びに行ったり、遊びに来て貰ったり、漫画を借りたり、本当に仲良くしてもらった。これからも彼女との関係は続いていくのだろうとそれが当たり前のことだと信じて疑わなかった。

3.返せないでいる本

卒業間際に彼女から借りた漫画がある。トリニティ・ブラッドという作品のコミカライズだ。彼女は自分の好きなものを私に何度も薦めてくれてきっとこの作品も面白いのだろうと私は読むことを楽しみにしてたのだが前回のnoteにも書いた通り当時の私は心に重りを乗せていたような人間でとてもじゃないけれど漫画は勿論、アニメを見ることやゲームをすることさえままならない状態だった。そのあとも充電期間に入ったものの、別のジャンルに心奪われ手つかずにいて「いつか読もう」と何年も思っていた矢先に彼女から連絡が来て、読むなら年内にと思ったのだが…今もそのまま返せないで私の手元にある状態だ。この漫画が彼女が最後に勧めてくれた作品だと思うと未だに読めないでいる。読んだからって別に彼女との関係がなくなるわけではないのは理解しているのだ。だけれど、高校時代からここだけはあの時からまだ時間を進めたくないと思ってしまう自分もここにいる。それでも私がこの世から去る前にはちゃんと読んで、あっちで再会できたらその時に感想をちゃんと伝えないといけないからこれもそのうち読もうと思う。私だっていつ命を落とすかわからないのだから。ただこの漫画、あれから続刊出ているみたいで、うちの本棚満員御礼で…って思ったけど、現代テクノロジーのおかげで電子書籍があることを思い出した。助かる。

4.当たり前が当たり前でなくなること

彼女のお通夜やお葬式も身内でひっそりと上げられたものと聞いているから、どことなく彼女が亡くなったというのは実は嘘で、実は生きていてひょっこり連絡が来るんじゃないかと思ったこともあったけれどそれはただの現実逃避に過ぎなくて、この間お墓に行くことができてようやっと友人は亡くなったのだと頭で理解することができた。

今の友人達と出逢えたこと、関係が続いていること、共に明日を迎えられること。

当たり前のようなことは実は全部奇跡が重なり合って起きた出来事なんだ。私はそれを彼女から学んで、私は彼女との件があってから、友人に会おうと誘われたら出来るだけ時間を作って会うようにしていてなんか全然会っていないな?と感じた友人にも連絡を取って会おうやと連絡を取るようにしている。もう2度と後悔をしたくない、これは私が失敗から学んだことだ。

コロナ禍で今人と中々会えない世の中ではある。会って集まることさえ非難の対象となって世の中からバッシングされる。それは本来、非難されるべきことではなかったのにねとは思う。でも幸い今は文明の利器があるからビデオ通話なり電話なりで連絡を取れるし、取れるなら取るべきだと思う。そしていつか人と会えるのがまた当たり前の世の中になったら、沢山会って沢山遊んで、その人との時間を大事にしてほしい。自分の気分もあるし、住んでいる場所の違いで会うのがなかなか足が重いって言う人もいるかもしれない。

それでも私は、会えるのなら会ってあげてほしいと私は思う。

私は飛行機が苦手で国内線でさえ嫌だった人間だったけれど友人が夜行バスだと尻が裂けるほどの、新幹線移動だとお財布に優しくないレベルの地方に越して行ったときは10年ぶりに国内線に乗って会いに行った。もしこの経験がなかったら、私はきっと「飛行機苦手だからそっちから来てほしいわ」なんて言ってしまっていただろう。人は失ってからじゃないと気づけない事が多いと言うが、これは事実だと思う。当事者になってみて痛感してしまった。

彼女との共通ジャンルの一つに、テイルズシリーズというRPGがあった。私はそのシリーズの多くをやっていないのだけれどその中でもシンフォニアが好きで、その続編であるラタトスクの騎士が持っていないハードであったからプレイすることができず腹いせにOP曲だけ買って曲を聞いただけでやった気になるというイマジナリープレイをしていた。どういうこっちゃ。彼女との旅行中も、彼女とそのお母さんの準備が終わるのを待っているときに聴いていた。その曲聴くと彼女とのことを思い出してしまうし、ある歌詞が私の胸に深く突き刺さる。

"この先にあった君と使う予定だった時間は"

Vitaを起動するたびに、亡くなる数日前のゴッドイーターのトロフィー取得情報が私の目に飛び込んできてもしかしたら一緒にゴッドイーターで遊べていたかもしれない。私は狩りゲーが本当に苦手で一人で遊べなかったから一緒にやってほしかったな。

FFも好きで、13を一緒に遊んだりしたからもしかしたら14だって一緒に遊べていたかもしれない。彼女だったらどんな光の戦士作るかな、アウラかなあ。貴方と一緒にエオルゼアの冒険してみたかったよ。

無双も好きだったよね。私は戦国無双しかやってなくて三國無双はキャラが多すぎるのと三国志に興味がなかったからっていう安直な理由でプレイしていなかったんだ、でも貴方が無双OROCHIZを貸してくれたのがきっかけで三國キャラの魅力にも気づいてあれから三國にも手を出したんだ。貴方が亡くなってから三國8が出たんだけど、出来が微妙で私はあまり楽しめなかったんだ。ただマイナスな点ばかりを見ない貴女ならきっとこういうところは楽しいって感想言ってくれたかもしれないね。

貴女ともっともっと遊びたかった。

貴女ともっともっと話したかった。

全然会えなくてごめんね、私が向こうに行った時にどうか叱咤してほしい。

私と出逢ってくれてありがとう。高校での最初の友達になってくれてありがとう。

貴女と、もう一人の友人と過ごす昼食の時間は本当に毎日の楽しみで、早くお昼時が来ないかなって待ちわびていたんだ。一度だけ貴方に好意を寄せる男子が貴女を「一緒にお昼食べない?」と誘って来た時に「青春しな!」って半ば強制に二人を食堂に送り込んで私ともう一人の友人は別所でお昼食べながらどんな結末になったか二人で予想してたら食事を終えた貴女が「二人きりにしやがって!」って怒って追い回されたのは申し訳ないとは思ったけど楽しかったよ(笑) あ~、これが噂のアオハルってやつか~~なんて。あの時間はもう戻らないけれど、確かにあった時間だった。今度はその友人とお墓参りに行きたいな、向こうがなかなか忙しくて会えないけれどね。


再三言うけれど、どうか友人との時間は大事にしてほしい。会えるなら会ってほしい、お互い近場に住んでるのならちょこちょこ会ってもいいんじゃないかな。これは「近いうちに会おうね」って言う不確かな約束が果たされなかった人間からの願いだ。後悔をしてからでは本当に遅い。

出会ってしまったからには、別れもいつか来てしまう。お互いの時間は有限で無限ではないのだ。思い出は多いに越したことはないと思うよ。それはきっと向こうに持ってった時の土産話になると思うしあっちで呑気に「そんなこともあったね~~~」なんて語り合えたら素敵じゃない。ただ私はもしかしたらしわくちゃのおばあになって死ぬ可能性もあるから、若くして亡くなった彼女と会話する姿はババ孫みたいな姿になりそうでそれは笑ってしまう。

コロナ、どうか早くどうにかなって人同士がまた気兼ねなく会える世の中に戻りますように。私も落ち着いたらこの失った時間分、近所でも遠方の友人でも積極的に会っていきたいと思う。

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