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Qアノンが炙り出す私たちの「奪われ感」と、立ち現れつつある復讐の神々。先人たちが残した歴史の声に耳を澄ませて。


鹿田木さん、Qアノンの最新コマーシャルでてたよ!

うん、俺もQちゃんになろうかな?
と思ったわ・・・

でも、こっちがおすすめよ。英文なので翻訳してみてね。

ざっくり言うと・・・
「子どものころ貧乏だと、学習機会や体験が得られにくいけど、読書がそれを補ってくれるよ」って話。

Qちゃんが、動画コンテンツやSNSで世界の見方を決めてしまうのは、安くて、早くて、うまい(刺激的)だからだと思うけど、本来それらは、読書や対話、体験でスローに作られるものだろうと。

なるほどね。

確かに、Qちゃんのコマーシャルみてると、単純な善悪二項対立っていう昔のハリウッド映画図式で、最終決戦で「善」が立ち上がる!

みたいになってるけど・・・

筋書きの単純さ、分かりやすさが、本を読んだり対話をする習慣のない人には刺さるのかなーとは思う。

あとは、旧来の保守層である共和党が、「革新イメージ」に衣替えするのに必要なプロパガンダともいえるよね。

「既得権に対し民衆が立ち上がる」っていう物語構造、史観を継いでいるのが俺としては悩ましいね。

リベラルが階級闘争ではなくて、精神疾患やリテラシー、認知の歪みで「陰謀論」を説明する度に分断は深くなってしまうよ。

結果として、現在の権力構造をリベラルが支えていて、Qが変えようとしているっていう物語が強化されてしまうよね。

国家やネーション、資本制における階級という構造を見ずに、フラットに「悪に権力が乗っ取られている」というナラティブ。

それに対抗したケネディ、レーガン、トランプは味方・・・ってなかなかよね。映像では、プーチンやシュウも善きものとして描かれている。

これまで積み上げてきたリベラリズムの伝統や、ポリティカル・コレクトネス(PC)が廃棄されていけば、私らの足場はさらに崩れていく気がしてならないんだけど。

実際、労働者が体験してる疎外感や報われなさ、声の届かなさ、応答のなさを、個人の選択の結果や賢明さの欠如として扱うのは、すべての人間存在を理性的な存在だと規定してしまうこと。

ゆえに、自由な主体が引き受けるべき自己責任だとする「啓蒙リベラリズムの母斑(ぼはん)」だろうし、それは労働や植民地、国民国家の内外に対する暴力を正当化したものだと思う。

末端のQちゃんたちはトランプ現象を支持することで、自分の被害を語っているのではなかろうかね?

そして被害者性を帯び、そこに留まるからこそ他者と分かち合うことができない。

Qの支離滅裂さ、常識の無さを指摘する側に、隠微な優越感を見て取ることは難しいことではない。しばしば、それはあからさまな侮蔑や差別になっているよね。

なるほど・・・確かにね。

とはいえ、この二元論的な「善と悪」の物語は、アメリカや日本、欧州で拡散、伝播されてきた経緯がある。

ある種の「奪われた感覚」を持つ人々によって。

それは先進国という豊かな国に住みながら、没落していく中産階級、労働者階級の意識であって、SNSや動画サイトを旺盛に消費する主力カスタマーでもある・・・これってつまり俺たちなんよね。

Qちゃんに惹きつけられる原動力が「奪われた被害者性」であるなら、そっくりそのまま、ナショナリズムや帝国主義に転化しても、ファシズムに転化してもおかしくないと思う。

せやね。

第一次大戦後のワイマール期のドイツとか、被害者意識マシマシで概念ユダヤ人を作り出して叩いていたし、今のイスラエルは概念ナチスを作り出して入植地を拡げている。

ロシアやウクライナにしろ、被害の語りは良識を失わせるよね。

だけど、魯迅がいうには「我々は皆、人食い人種の子孫」なんよね。自分の連なりの有責性に目を瞑ることは、未来に対して目を瞑ることやと。

自分のスティグマを見せて行為を正当化することはできないし、それこそ理性は「そんなことすな!」と言うとる。

でも、してしまう。

それくらいに「奪われ」の感覚は強く、取り返しの観念は行為を迫るのやろうね。

・・・分かりみの深さよ。

でも、だからこそ歴史はか細い声でささやいている。

ヒッタイトに残された石板の声しかり。復讐に制限を定めた「目には目を歯には歯を」のハンムラビ法典もしかり。

その先は、行ったらあかんねん。地獄の釜の蓋が開くでや。わしら地獄を見てきたねんや、お前らは見んときやと。

我ら「人食い人種」であるがゆえに、先人たちはヤメなさいっていうとるんよね。

しかり。

復讐を保証する神と、国民国家にほだされてはならんのよね。

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