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アルバイトから垣間見えた現代日本の闇。「頭が悪い人」で溢れかえる世界に。

長期引きこもりの人生ではありますが、以前「アルバイト」を挟んだことがあります。内容は量販店でのレジ業務です。個人的な活動では得られない類の脳リハビリとして、あわよくば社会復帰への足掛かりにもしようと思ってのことでした。かなり意気込んでおきながら、結局は肉体の方の不調から1年も続かずに辞めてしまったのですが、そこで見てきた"とある光景"が、後も胸に残り続けるほど興味深かったので、ご紹介してみようと思います。

(序章)アルバイトに臨んだひきこもり

その店舗では、店長と副店長が採用担当も兼ねていたのですが(これは恐らく一般的?)、どうも長らく人手不足が続いているようでした。私が久々の採用者だったとのことで、店長は喜んでおられました。面接時に恐る恐る提示した99%が空白の紙面からは、私がいわゆる「ひきこもり」であることが明らかです。実際その時に、店長が何かを覚ってしまったような、考え込むような"間"が生じたのですが、意外にも翌日に合格の電話をいただけました。「あんなしっかりとした雰囲気の店舗で合格を貰えるなんて、自分はものすごく幸運だ」と喜んだものです。しかし、その背後にはひきこもり風情が合格できてしまう、恐ろしい現実があったのでした。

さすが都会の店舗というだけあって、アルバイトの応募者自体はそこそこ多いものでした。それだけに、人手不足であることと、優先順位が低い筈のひきこもりが合格出来てしまったことは不思議に思えます。

店長は生来からの私の真面目さを買ってくれたようで、直接の仕事以外の内容でも色々と気軽に話し掛けてきてくださいました。勿論緊張はするのですが、それまでの自分の生活には無かった「生身の人間と会話をする」という刺激に驚き、どれも興味深く聞いていたものです。聞いた話に対して私なりの意見を言ったりもするようになって、その内容はだいたい「世間とズレている」とのことで、社会慣れたした人々からの奇異の目、または失笑を誘っていたものです。趣味での活動や食事に誘われることもあったので、意外とウケは良かったのだと思います。私としてはいずれも大真面目に自論を語っていただけなのですが…(笑)

そうこうしている内に、ほぼ毎週店舗に起きているイベントでもある「アルバイト応募者との面接」についても、徐々に聞かせてもらえるようになりました。店舗内で、面接室に向かう応募者の姿は目にしていたのですが、内容について聞かせてもらったのは初めてのことでした。なのでそれまでは、不良っぽいお兄さん、真面目そうな主婦、おそらく学生さんなどが面接室に向かう姿を確認しながら、実際にやり取りされるであろう内容やその合否を想像するに留まっていました。

(本題)面接に見る現代日本の闇

そして、いざ聞かせてもらった面接の実態というのが酷いもので、受け答えがタメ口だったり、ガムを噛みながら面接を受けたり、そもそも募集要項を読んでいない方だったり(よって条件外の労働時間を希望してくるなど)、前提から話にならないとのことで、店長はかなり落胆されている様子でした。勿論、アルバイトに対して能力や情熱など高度な要求をするつもりは毛頭なく、最低限のマナーがあり、ただ普通に働いてくれそうな人材を求めていると仰っていましたし、そして、そんなに低い条件さえも人々がなかなか満たしてくれないことを嘆いていました。
思い返すと店長自身も面接後に鬱っぽくなっていたことが多かったので、気の毒だなと思いました。そして、道理であれだけ面接者が来ているにも関わらず、一向に新入りの方が入ってこなかったものだと納得もしたものです。

私が平均よりもやや真面目で礼節を重視しているというのはありますが、それにしても、私のような低学歴のひきこもりでも満たせる条件が満たせない人々が多いと言うのは、現代社会が抱える問題と言えるのではないでしょうか。
当たり前のことですが、最低限のマナーを守らなければ面接で受かることはまずあり得ませんし、それは自身の評判を落とす行為となってしまいます。同じ社会空間を生きている人間同士、後々になって何かの機会で顔を合わせることがあるかも知れませんし、その場合に余分に気まずくなるのは自分です。そもそも受かるつもりが無いというのならば尚更、「時間の無駄」という意味でも自身に損失をもたらす行為にしかなっていません。
募集要項を読まずに応募をする行為についても同様です。少し考えてみれば「ただ損をするだけ」だとわかる選択肢を敢えて取ってしまうというのは、やはり頭が悪いと言わざるを得ません。
社会的に見て「かなり頭が悪い人間」に分類される低学歴ひきこもりからもそんな風に見られているようでは、あまりにも損をしています。

(これはやや傲慢な意見かも知れませんが、"ひきこもりよりも頭が悪い人間"が社会に多いことが、ひきこもりが社会復帰しづらい原因のひとつになっているのではないでしょうか?)

「世の中には馬鹿が多い」「どうしてこんなに馬鹿ばかりなのか?」といった話は、ネット空間でも度々議題に上がります。傾向として、そうした提議をすること自体がそもそも傲慢なのだと抑制されたり、「そのように認識する人間の方が馬鹿なのだ」といった無意味な揚げ足取りに終始しがちです。しかし、果たしてそれで済ませて良いような軽い問題なのか?と不安になることが私は多いです。

昨今ではインターネット空間に於いても、趣味や議論コミュニティへの参加者を募るにあたり、面接、面談といった"関門"が設けられることが増えてきました。私はそうした空間を取り仕切る管理側の人物らと関わることも多かったのですが、そこで聞く話にしてみても、上記で挙げたアルバイトの面接談と同様、ちょっと目に余るまでの「応募者の質の低さ」が嘆かれていたものです。時にはそれが原因で精神的に消耗し、管理側がコミュニティでの活動を辞退してしまうといった事例も少なくありませんでした。こうした現象がネット、現実世界を問わず広域に発生しているのだとすれば、喫緊の社会問題としてもっと大々的に取り上げられるべきだと思います。

教育の現場に於いても、「教員の8割が子供たちの国語力の低下を感じている」という集計が出ています。先に述べたアルバイト面接の話も同様、現場の声というものは机上の理論よりも遥かに重要ではないかと思われます。

また、具体的なデータとしましても、国際学力テスト「国際学習到達度調査(PISA調査)」に於ける日本の順位が2015年の8位から、2018年には15位へと下落していることが公表されています。このことから、これらが単に個人の体感レベルに留まる話では無いことが推察されてきます。

何故、こうもいわゆる「頭が悪い」人間が増えているのか。これはもっと真面目に向き合われるべき問題だと思います。今まさに現場でそうした問題に頭を悩まされている人も、まずは日本の各所で同様の現象が多発していることを、辛いとは思いますが受け止めつつ、その後は根本的な原因解決に向けて、出来る限り動いてゆく必要がありそうです。

頭の良い悪いは人として根本的な要素であり、これを捨て置いてはどれだけ潤沢な資源やテクノロジーを後世に残したところで、容易に国民全体の破滅を招いてしまいかねません。そして、地球上のいずれの事象にしてみても「原因」があった上で「結果」があるものです。例えば、子供とは基本的に、先立つ大人たちが形成した社会、行動様式に倣って動くことしか出来ない生物なので、彼らに障害が起きているとすれば、その要因を手渡した我々大人たちの責任でもあるのです。

「人々の頭が悪くなっているのであれば、それをきちんと受け止めた上で、解決に向けて動く」この心構えこそが、思いがけず押し付けてしまった負の遺産を払拭し、後の世代の崩壊を止めるという大人たちの重要な責務であると思います。

今の私は単に一人のひきこもりに過ぎませんが、将来的にはそうした全体規模での改善策に、何らかの組織の一員として取り組むこと。または個人として取り組んでいくことを目的の一つとしています。

このサポートという機能を使い、所謂"投げ銭"が行えるようです。「あり得ないお金の使い方をしてみたい!」という物好きな方にオススメです(笑)