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聖フランシスコ病院前にある、聖フランシスコ像

長崎市小峰町にある、聖フランシスコ病院。その前庭には、犬(実は狼?)と話す、一人の若者の像があります。この像も見かけた人も多いのではないでしょうか・・・
この像、もちろん「犬好きの人」なんかの像ではありません。
聖フランシスコ、或いはフランチェスコ。いわゆる「アッシジの聖フランチェスコ」と呼ばれた聖人の像なのです。

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最も聞き慣れた言葉では、アメリカ合衆国の都市、サンフランシスコは、彼の名をとったものです。
(スルバランの聖フランチェスコ / ラファエロ / アルテ・ピナコテーク 独)

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1972年に制作された映画、「ブラザーサン シスタームーン」はフランシスコの青年時代を描いたものでしたが、こちらで記憶している人もいるかと思います。

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「12世紀のイタリアに存在した聖人」・・・というと、現実とはかけ離れた伝説上の人物、という気がしますが、この時代にあっても、この聖フランシスコに親しみを感じるのは、「若い頃、大酒を飲み、女遊びの好きな放蕩者だった」という経歴でしょうか。

改心後は、全ての財産を捨て、洞窟などで野宿をしながら、ハンセン病患者や貧しい人々を助け、布教活動を行なうのですが、像に表されているように、小鳥や狼とも心を通わせることができた・・・という伝説も、広く世界中から支持を集めているようで、聖人の中では、この人が一番好き、という人も多いようです・・・・


そして、この「聖フランシスコ病院」が建つ場所は、「死の同心円」で知られる秋月辰一郎医師らが、被爆時、「浦上第一病院」として勤務していた場所でもあるわけです。

また、古くは慶長元年に長崎で処刑された26聖人のうち、3人の司祭と7人(うち外国人3人)の修道士、そして6人の同宿者など計16人が「フランシスコ会」の所属でした。
↓ 26聖人像、中央の6人はフランシスコ会の外国人司祭と修道士たちです。
右から
ペドロ・バプチスタ(当時48歳・スペイン・司祭)
マルチン・デ・ラ・アセンシオン(当時30歳・スペイン・司祭)
フェリペ・デ・ヘスス(当時24歳・メキシコ・修道士)
ゴンサロ・ガルシア(当時40歳・ポルトガル・修道士)
フランシスコ・ブランコ(当時26歳・スペイン・司祭)
フランシスコ・デ・サン・ミゲル(当時54歳・スペイン・修道士)

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おそらく、このライダー・フッドとでも言いましょうか。修道服は、ラファエロや下図にあるように、ブラウンであったのでしょう・・・

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そして、長崎に関わりの深い、「フランシスコ会」系の組織であるのが、「聖母の騎士会」の一人、ゼノ修道士・・・いや、ゼノさんでしょう。

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↓昭和35年、長崎市内でのゼノさんの姿です。たった60年ほど前の長崎というのは、こういう時代であったわけですね・・・
写真に写っている子ども達も、現在まだ60歳代ということになります・・

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聖フランシスコは、「全ての私財を捨て、清貧を貫いた」とありますが、このゼノさんの部屋の様子を見てください。小さな机の上には、小さなマリア像と、ダンボール箱の本棚が乗っているだけです。

物欲にまみれてしまっている己が、恥ずかしくなります・・・・・

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こうやって振り返ってみると、歴史上の人物なんかは、けっして「大昔の伝説の中」だけで生きているのではなく、人から人を通じて、心や精神の中に今もしっかりと残っている・・・と思ってしまうのです。

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