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私の子育て雑感 ① 形あるものは、壊れるものだし、失敗もするもの

日本では、失敗するとすごく親から叱られるというイメージがあるが、海外ではそんなことは無いらしい。
考えてみればそりゃそうだろう。
どんなに大人になろうが、年寄りになろうが(むしろ年をとるにつれて)失敗は常にするものだ。
しかし、実は失敗がよい結果に作用したり、そこから学ぶことがむしろ多い事が経験としてわかってくるものだ。

なのに、なぜそんなに子どもを叱るのか?

私が小学1年生か2年生の頃だった。
うちは経済的に苦しかった。
四畳半と六畳の二間のアパートに住んでいたが、お客さんが来た時にだけ敷く布団があった。
いつもはその布団に寝ないのだが、どういういきさつかは忘れたが、その夜だけはその来客用の布団が敷いてあって、私と兄が寝てよいということになった。当然我ら兄弟はウキウキした気分でその来客用の布団に入った。もちろん幸せな気分だった。
私はその時、指を擦りむいたか何かしていて、布団に入っても指がちょっと痛かった。
それで布団から出て「赤チン」をつけ、また布団に入った。
赤チンはすぐには乾かないものだから、たちまち布団の内側に赤チンがべったりついてしまった。
それを見つけた時のお袋は「鬼」のようだった。
すぐさま布団から出され、来客用の布団は中綿を出し、台所のたらいで、すぐに赤チンを落とせ!と私に迫った。
私は半べそをかきながらゴシゴシとやったが、布についた赤チンはそんなことで落ちるはずもない。
いくらやっても、薄くもならなかった。
それでも、お袋は「落とすまで寝るな」と言い遺し、父と兄とともに電気を消してさっさと寝てしまった。
まぶしいから台所の電気まで消され、私は真っ暗な中でじゃぶじゃぶと落ちるはずもない布団カバーをいつまでもこすっていた。
その時の暗闇とじゃぶじゃぶという寂しい音は、今でも私の脳裏にやきついている。
まだ小学生だった兄はともかく、父もまったく庇うどころか、知らん顔をして放っておかれたのが悲しいし、辛かった。

結局、何時間かしてお袋は「もういい」と言って、解放されたのだが、その後かなり長い間その体験がトラウマとして残っていた。
飼い犬が座布団を破っただけで、恐怖におののき、その座布団を押し入れの中に隠し、それがいつばれるかという恐怖に長く襲われた。

考えてみれば、そんなトラウマを遺すほどの罰を与えることだろうか?
形あるものは、いつか壊れるものだし、人は死ぬまで常に失敗するものなのだ。

親の立場になると、まるで子どもを所有物か奴隷?のように扱う者がいる。
まるで自分はかつてそのような失敗はしなかったし、今もこれからそんな失敗はしないとでも言うような態度で。
子どもは所有物でも奴隷でもない。
ひとりの命として基本的に尊重しなければならない。
奴隷扱いはもちろん、子ども扱いなどもしてはならないのだ。



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