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少女の日記としてではなく、一人の人格ある人間のものとして「アンネの日記 増補改訂版(文春文庫)」を読む ⑦ プリミティブな人間の幸福に気付く

隠れ家から出られないという環境だったが、幸い屋根裏部屋からは裏の大きなマロニエだけでなく、アムステルダムの市街を見渡すことができた。
自分が愛し始めた人と、何も言葉を交わさずとも、プリミティブ(根源的な)人間の幸せというものを直感として感じ取っていることがうかがえる。

一九四四年二月二十三日、水曜日
だれよりも親愛なるキティーヘ
外はとてもいいお天気。わたしもきのうからだいぶ立ちなおっています。
天から授かったわたしのいちばんすばらしい才能である″ものを書くこと″も、目下のところ快調に進んでいます。
ほとんど毎朝、わたしは屋根裏部屋へ行き、肺のなかによどんだ空気を吐きだします。
けさもまた行ってみると、ペーターがせっせとお掃除をしていました。
あっというまに仕事をすませた彼は、窓に近いいつものお気に入りの場所にすわりこんだわたしを見て、そばにきました。
わたしたちはふたりしてそこから青空と、葉の落ちた裏庭のマロニエの本とを見あげました。
枝という枝には、小さな露のしずくがきらめき、空を飛ぶカモメやその他の鳥の群れは、日ざしを受けて銀色に輝いています。
すべてが生きいきと躍動して、わたしたちの心を揺さぶり、あまりの
感動に、わたしはふたりともしばらく口をきけません。
彼は太い梁に頭をもたせかけて立ち、わたしは床にすわりこんで、そろって新鮮な空気を吸いながら、外にひろがる光景をながめ、そしてどちらもうっかり口をきいて、このひとときの魔法を破ってはならないと感じていました。
そのままで長い時間が流れましたが、やがて彼が薪を切りにゆくときがくると、わたしにもしみじみと彼が、ほんとうにいいひとだという実感が湧いてきました。
彼がロフトへの梯子をのぼっていったので、わたしもあとを追い、そのあと彼が薪を切っている十五分ばかりのあいだも、ふたりは依然として無言のままでした。
わたしはすこし離れて彼の仕事を見まもり、彼は力のあるところを見せようと、懸命に奮闘しています。
そのあいだもわたしは、ときどきひらいた窓から外の景色をながめていましたが、そこからは、アムステルダム市街の大半が一目で見わたせます。
はるかに連なる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまり
に淡いブルーなので、ほとんど空と見わけがつかないほどです。
それを見ながら、わたしは考えました。「これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは――この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならないわ」って。
恐れるひと、寂しいひと、不幸なひと、こういう人たちにとっての最高の良薬は、戸外へ出ることです。
どこかひとりきりになれる場所ー大空と、自然と、神様とだけいられる場所へ。
そのときはじめてそのひとは、万物があるべき姿のままにあり、神様は人間が自然の簡素な美しさのなかで、幸福でいることを願っておいでなのだと感じるでしょうから。
こういう自然が存在するかぎり、そしてそれはつねに存在するはずですが、それがあるかぎり、たとえどんな環境にあっても、あらゆる悲しみにたいする慰めをそこに見いだすことができる、そうわたしは思います。
自然こそは、あらゆる悩みへの慰安をもたらしてくれるものにほかならないのです。
ああ、ひょっとするとあまり遠くない未来、わたしはこういう圧倒的な幸福感を、わたしとおなじようにそれを感じてくれるだれかと分かちあえるかもしれません。

じゃあまた、アンネより

アンネの日記増補新訂版 p339 p340


All about Anne by Anne Frank Huis

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