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何気ない出来事で思う事(持論か?自論か?常識か?非常識か?)意外性も考える


西暦では2000年代に入り、日本では平成から令和になり、人間の環境が大きく急激に変化しているようにも思える。いや、変化している。
けれど、そう思うのは自分だけのようにも思ってしまう。

人間の生きている状態は急激な変化に入っている。

いろいろな表現方法があるnoteって面白い!となんとなく利用させてもらっています
そろそろ、もう少し使ってみようとメンバープランを登録しました

好い加減いい加減のまきゆか(HORUTARO)ですが、今までの経験を自分だけの記憶だけでいいのか!?と思い出した。
さらに、日常の経験と新た知識が増えた事で、今までが全く異なるはずが、全く関係ない事すら、「これって、繋がらないはずが繋がる?」という感覚がある。


ところが、日々の忙しさに理由を付け、繋がる感覚をそのまま流していることがある。


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時代の変化などなど、ついていけなくなると、過去の「何か良かったこと」を思い出し、ついつい声に出しちゃう「あの頃はよかった」

私も多かったです(苦笑)

過去への懐古はあってもいいけど、それでいつまでも引きずっていると急激な変化に馴染めなくて慣れないなと気づくとき、「あの頃はよかった」と言ってしまう


これは年齢の問題か、気持ちの問題か、環境の変化か、生活ステージの変化か、それぞれが混ざり合って自分の中で受け入れられなくなってしまったとき、目的を見失いそうになった時、立ち止まった時出てくる。

けれども、2022年からnoteでアウトプットしだしてから気付いたことがある。
「あの頃はよかった」と思う事がとても少なく逆に思う事がなくなり、気持ちが前を向き、「今から」「ここから」「これから」進むこと、と考えて行動している私がいる。


実際の行動までは至ることが今だ少ないが、新しい知識が深まると、気付きやアイデアがどんどんと湧き出て、常に何か思考を巡らせている事が多い。


今の状態を考えると、何が変わっただろうか



「時間のとらえ方」が一つの要因のようだ


時間と言っても考え方・捉え方は千差万別で人それぞれ様々です
この1冊の本に出合ってから考え方が大きく、180度と言えるほど変わってしまった

別のnote記事でも紹介したが、再び紹介。

時間の概念は曖昧であり、例えも多い。
TQでの時間とは、【考えているその人自身の出来事】の連続であり、コントロールできる出来事とコントロールできない出来事の連続体であるという。
いきなり初めから、
時間を管理するという考えから、出来事をコントロールすという考え方にまず変えてみよう…と始まっている。
(訂正追記:2023-3-26)


この本を理解していくと、「あの頃はよかった」と過去への懐古時間(出来事)すら、今からの未来への考え方へと変わっていく。


女性だからとは言いたくないが、会社勤めをしていると、どこかのタイミングで、結婚・妊娠・出産・育児、というイベントがある。
さらに生活水準を下げたくない、という何とも言い難い意味があるような、ないような理由を付けて、このイベントへのかかわりを大きく深くどっぷりとハマっていた。
男性も同様の事で関わることになり、やはり同じようなことになると思う。
最近では育児休業などへの前向きな対策や支援などが手厚くなってきているが、世間一般の子育て世代が変化して、今後どれくらい経過すると、子育てへの不安が意識しなくてもいいのだろうか、ふと考えてしまった。

様々な要因が絡んできた現在の状況が、何が原因か?を考え、ひとつの原因の対処をしたら、また次の要因が生まれ、また対処する。。。

いいのか何なのかわからなくなる対応策が増えていることに気づいているのか気が付いていないのか…

まあそんなもんだよね、で終わっていいのかな?フクザツカイキ。

私自身の自論も言いつつですが、現在はとある理由で、子育て関係者ではなくなった
そのためか、俯瞰していることが多い。
今でも関係者ではないから関係ないと、無関心になってもいいのだろうかと考えたが、半端な経験者として、何かできることがないか考えている


少し話が逸れたが、このように考えている時間ですら、自分が持っている「時間(出来事)」をどう利用して出来事を過ごすか、感じているか、今からこれからの行動も大きく変化すると思う。


過去ばかりに捉われて、ただ単に、時代変化について行っていないのか?
今でもパソコンというIT機器には身近で関わっているが、詳しいわけでもなくただ「身近にある道具」程度で使っていていいのか。
使えると言ってもプログラムができるわけでもないので、何となく「みなれている期間が40年ほど」だけだと思う。


TQとのかかわりの気づきの続きは次回へ…

ではまた。


あなたのサポーで、好い加減、良い加減をひたむきに続けます!ひと息ほっとなりますように!