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旅における「楽しさ」について

旅における「楽しさ」とは何か

2023年、転職における1ヶ月の休暇を使って、ネパール、バングラデシュ、インドを旅した。
大学3年生の頃にも行ったので、実に5年ぶりのインド旅。

転職休暇の旅でネパールを含むベンガル地方を選択したのは、5年前のインド旅で感じた昂揚感と刺激、興奮を味わいたかったから。

では、今回の旅で同じような昂揚感と刺激、興奮を味わえたのか。
結論、「同じような」「あの頃のような」楽しさはなかった。
楽しくなかったのかと言われれば、それは否。
楽しかった。

「楽しくない」と「楽しい」と言うアンビバレントな感情が同居した旅になった。

このような矛盾した感情が生まれたことをきっかけに、旅における楽しさ(個人的な)について考えてみた。

5年前の「楽しさ」

・初めての場所に訪れる

・宿が見つかるか、詐欺られないかと言う不安感と緊張感
・初めてのモノを見る、モノを食べる、雰囲気を感じることによる昂揚感

・楽しいと感じる

・楽しさを求めて、初めの場所にいく(=移動)


初めて行く、訪れる場所では、初めてみる、初めて食べる、初めて体験することばかりで、ワクワク感、ドキドキ感、好奇心がくすぐられ、楽しいと感じる(今もそう)。

さらなる楽しさを求めて、初めての場所へ絶えず移動し続け、宿を転々とする。

これが以前の旅のスタイルだった。

今回は再訪する場所が多かった。
行ったことがある場所に再訪すると、すでにみたことがあるものばかりだし、土地勘もある程度はあるし、どんなことに気をつけたらいいかも知っている。
不安感と緊張感をもちながら、歩いたり、食べたり、見たりすることはない。昂揚感も得られない…。

再訪することによって、高刺激で興奮する「楽しさ」は半減してしまった。

じゃあ、楽しくなかったのかというと、そう言うわけではない。
別の種類の「楽しさ」があった。

新発見の「楽しさ」


・再訪する

・昔を思い出しながら、歩く。昔を思い出しながら、食べる。昔を思い出しながら見る

・昔との違いに気づく

・町の変容に気づき、記憶を辿っているときに楽しいと感じる



・初めての場所に訪れる

・同じ宿に連泊し、同じ店で朝昼晩飯を食べて、宿の近くを街歩きする

・同じ場所なのに、時間帯や天候によって違う様子を見ることができる
・観光の範囲を狭めることで、顔馴染みができて現地の人がどのように生活しているのかが見えてくる

・街のことを狭く、深く知れているような感じがして楽しいと感じる


①に関しては、
バラナシで、記憶を頼りに目的地に辿り着けた時や
5年前と格段に綺麗になったガンジス川を見た時や
5年前と同じ場所、同じアングルの写真を無意識に撮っていることに気づいた時に「楽しい」と感じた。

②に関しては、
同じ宿に連泊して同じ店に通うと、現地のスタッフと顔馴染みになり会話が生まれ、現地の生の情報を知れた時
昼は八百屋だった店が夜はチャイ屋になっていることを知った時に
街歩きが「楽しい」と感じた

初めの環境という高刺激で興奮する楽しみでなく、変容を見る楽しみ、記憶を辿る楽しみ、狭く深く見る楽しみがあった。


旅における「楽しさ」

昔のような、あの頃と同じような楽しさを求めて旅をしてはいけないと思う。

昔、あの頃とは、年齢も経験も所持金など様々な要素が違う。
昔の自分と今の自分は同じようで違う。
だから、感じ方、捉え方も違う。

昔のような「楽しさ」を感じることは不可能。

自分の年齢、経験、現地の状況に応じた楽しみ方を旅の途中で見つけていくしかないと思った。

何年か前の自分の旅(もちろん、人がした旅)をなぞってしまうと、今の旅を味わうことができなくなってしまうのではないか。

次の旅ではどんな「楽しさ」が生まれるのか、作れるのかが楽しみ。


うまくまとまらないので、終わります。






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